なかにし礼×阿久悠 昭和歌謡ライバル物語~名曲はこうして誕生した~

BSテレ東2021年3月28日(日)放送終了

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      番組概要

      昭和歌謡を牽引し歌謡曲の黄金時代を築いた作詞家、なかにし礼が2020年12月に旅立った。独自の世界観に基づく詞で、数多くのヒット曲を放ったが、その足跡を振り返る時、ライバルとも言える人物がいた。阿久悠である。年齢は阿久が1歳上だが、作詞家としてのデビューはなかにし礼の方が早かった。代理店のサラリーマンから放送作家になった阿久は歌番組の台本を書くときに、なかにし礼が書いた詞が特に気になったと言う。ともに七五調の詞を否定し、独自の作風で歌謡界を席巻。日本レコード大賞はなかにし礼が3回。阿久悠は5回受賞。今回、二人の人生をヒット曲と共に紹介する。

      なかにし礼×阿久悠 昭和歌謡ライバル物語
      なかにし礼

      なかにし礼×阿久悠 昭和歌謡ライバル物語
      阿久悠

      ◆なかにし礼

      昭和13年9月、満州に生まれる。6歳で終戦を迎え、満州からの引き揚げの際、何度も命の危険に晒される。この体験が後の創作活動に大きな影響を及ぼす。立教大在学中にシャンソンの訳詞を始め、数年で約1000曲を手掛ける。石原裕次郎との出会いをキッカケに作詞家として歌謡曲の世界へ。「知りたくないの」(菅原洋一)が昭和42年にヒット。以降、約3000曲を作詞。小説家としても活動。「長崎ぶらぶら節」で直木賞受賞。享年82。

      紹介曲

      ♪知りたくないの ♪今日でお別れ ♪天使の誘惑 ♪石狩挽歌 ♪人形の家 ♪風の盆恋唄 ♪北酒場

      ◆阿久悠

      昭和12年2月、洲本市(淡路島)生まれる。明治大学卒業後、広告代理店へ入社。CM制作などを手がけながら放送作家としても活動。その後、作詞家に転身。初のビッグヒットは「白い蝶のサンバ」(森山加代子)。自ら企画し出演したテレビのオーディション番組でピンク・レディーを発掘。作詞した曲は5,000曲以上。美空ひばりと同い年。小説家として活動し直木賞候補3回。享年70。

      紹介曲

      ♪また逢う日まで ♪ざんげの値打ちもない ♪青春時代 ♪津軽海峡・冬景色 ♪舟唄 ♪北の宿から ほか



      ライバル関係

      ライバルと言われた2人だが、阿久にはひとつの信念があった。それはひばりが歌えない歌を、なかにしが書き得ない詞を作ることだった。その阿久が旅立った平成19年、なかにしは会見で「阿久悠は昭和であり、日本の象徴だった」「作品の最高傑作は『青春時代』(森田公一とトップギャラン)、『後から ほのぼの思うもの』なんてね、こう言われると、皆が納得しますよ。完成度も高く、何年たっても口ずさんでしまうでしょうね。すてきな歌です」と語った。さらに、戦後、中国から引き揚げてきた自分の少年時代を振り返りながら「僕は中国生まれでよそ者。阿久さんの作品には、日本人が納得するフレーズがあった。僕は歌によって日本との距離感を測りながらやってきた」。「(阿久さんの)アンチテーゼとしてやってきた。挑戦相手を失った気がする」とコメントした。

      プロデューサーからの一言

      昭和歌謡の黄金期を支えた2人の作詞家。一方は旧満州から引き揚げてきた壮絶な体験がベース、もう一人は広告代理店からの転身とそのルーツが違う。
      プロとしてお互いをひそかにライバル視していたという2人の楽曲の違いは何か?その秘密を解き明かします。

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