
中国侵略に拍車をかける日本軍は土肥原大佐を天津に派遣する。中国東北地方に建設する新政府と、溥(ふ)儀(ぎ)を皇帝に擁立した「明光帝国」の勃興をほのめかし、ただちに東北へ渡るよう彼を促す土肥原。この言葉により一度は大日本帝国陸相・南次郎に親書を送って日本との協調を表明した溥儀であったが、同じ頃関係者を通じて伝えられた国民政府の蒋介石(しょうかいせき)からの警告は、溥儀に日本軍への全面協力をためらわせた。これに対し日本軍は硬軟両策であたり、1931年11月、特高警察の脅迫の下、ついに溥儀を東北へ移動させることに成功した。