
清朝がまさに崩壊しようとしていた1908年の冬、改革に失敗し幽閉された光緒帝(こうしょてい)に代わる新帝の擁立を企てた西太后(せいたいごう)は、自らが掌握する圧倒的な国家軍事権を背に、朝廷内の臣下・皇族の反発を顧みることなくこれを断行した。
彼女が選んだのは、まだ3歳にも満たない醇親王(じゅんしんのう)の皇子・溥儀(ふぎ)。醇親王は西太后の宣旨により、物心もつかぬ幼い我が子を宮廷作法の教育と皇位継承準備のために宮廷に送るよう命じられる。そしてこれこそが、以後数十年に及ぶ宣統帝(せんとうてい)・愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀(ふぎ)の波乱と苦悩に満ちた生涯の第一歩であった。