
栗城史多(くりきのぶかず)
‘82年6月9日、北海道生まれ。
身長162cm、体重60kg。
大学山岳部に入部してから登山を始め6大陸の最高峰を登り、8000m峰4座を無酸素・単独登頂。
2009年からは「冒険の共有」としてのインターネット生中継登山を始める。「冒険の共有」は否定という壁を無くして、見えない山を登っている全ての人達の支えになることを最大の目的とし、秋季エベレスト無酸素・単独登山だけではなく、人や社会が持つ心の壁に挑戦。
2012年秋にエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にブロードピーク(標高8047m)に無酸素・単独登頂。復帰を果たす。
2018年5月21日、エベレスト8回目の挑戦7400m付近で体調不良を理由に登頂を断念、下山中に滑落したとみられ 6600m 付近で遺体が発見された。
2010年「頂の彼方に・・・栗城史多の挑戦!」を追悼放送
2018年6月14日(木) 午後5時58分 ~ 7時55分放送

2018年5月21日にエベレストで下山中に事故で亡くなった登山家・栗城史多さんの挑戦を追ったドキュメンタリー「頂の彼方に…栗城史多の挑戦」(BSジャパンにて 2010年7月17日初回放送)を、6月14日(木)夕方5時58分から追悼放送します。
栗城さんが 2010年5月、アンナプルナⅠ峰(8091m)山頂へアタックする全貌に密着しました。栗城さんが伝えたかった「冒険の共有」「否定の壁を壊す」「一歩を越える勇気」など数々のメッセージを、ヒマラヤを舞台に人生を懸けて発信しようとする姿を、当時の生き生きとした「極限状況での生のリアリティ」として、ぜひ感じてください。
梅崎陽プロデューサー(テレビ東京)コメント

栗城史多 享年35。エベレストでの事故がなければ 6月9日には誕生日を迎えたはずでした。35年間という彼の短い生涯のうち 関われたのはわずか数年。ヒマラヤ アンナプルナ、3度のエベレスト遠征に同行撮影させていただきました。
2018年5月21日「栗城さんがエベレストで遺体で見つかった」ニュースは職場で衝撃をもって広がりました。誰もがショックを隠せず、同時に「でも、なぜ…?」との思いを口々に話しました。
「なぜ凍傷で殆どの指を失っても挑戦し続けたのか?」
「なぜトップクライマーですら登頂が困難なルートを選んだのか?」
「なぜ登山に代わる生き方を選択しなかったのか?」
その多くの「なぜ?」を遺して栗城さんは逝ってしまった。
「なぜ?」は今も消えることなく心の澱となって離れません。
そもそも
人は なぜ山を登るのか?
人は なぜ冒険するのか?
人間はこのシンプルな問いに対して、未だに明確な回答を導き出せていない気がします。

一方で個人的には、栗城さんの姿を追い続けたことで、2つのことを自分なりに感じ取りました。一つは、「この世界には 自らのすべてを懸けるに値する何かが きっとある」ということ。
もう一つは「冒険の価値は自分自身が決める」ということ。日常の中で、例えば 自転車をなんとか乗りこなせるようになった少年が、初めて自分の足で、知らない街に到達したとします…大人の目からするとひょっとしたら「他愛ないこと」かもしれません。でも少年にとって「人生の冒険」の扉を開く第一歩だとしたら…。
それは「冒険」がもたらしてくれた 彼だけのかけがえのない体験ではないか?と。
古の時代から、「危険すぎる」「無理に決まってる」との声を浴びながらも、海に漕ぎだした人、未踏の頂を目指した人、未開の地に踏み入れた名もなき人々――。彼らがいたからこそ、私たちは人類の持つ 限りない可能性に希望を見出してきました。もちろんそうした先人と栗城さんを同列視は出来ないし、指摘や批判が示す通り“「冒険」と「無謀な試み」は別もの”と、多くの人が言うでしょう。栗城さんの冒険スタイルを全面的に支持するということではありません。ただ、栗城さんが発信し続けてきた「冒険の共有」というメッセージは、「僕のチャレンジを共有してください」ではなく「自分にとっての“見えない山”」

何でもいい、ちっぽけなことでもいい。自分の多くを傾ける何かを見つけよう。そんな「冒険心」を共有しよう…という気持ちだったんだなと、今さらながら思います。
また栗城さん自身もおそらく、先ほどの「なぜ?」への明確な答えは抱いてなかったのではないかと。
なぜなら「言いようのない衝動」「表現できないザワザワとした漂泊の想い」「見たことのない景色への憧れ」など、冒険の源となる感情はいくら言葉を尽くしても言い表せないだろうからです。
多くの人でなくていい。冒険者のメッセージがわずかでも響き、誰かの心の奥底に眠っている魂に火を灯し、世界への一歩を踏み出す勇気に目覚める人が絶えることなく、その灯がこれからも続くよう、願ってやみません。
めまぐるしい日常の中でふと、リュックを背負った彼の背中を雑踏の中に探してしまいます。ひょっとしたら彼の魂が次なる挑戦へ向けて一歩ずつ歩んでいるのではないかと。懐かしい故郷の大地か、世界最高峰か…?それともすでに魂は、さらに高みに向かっているのかもしれません。彼が諦めることなく目指し続けた 頂の彼方へと。
放送内容 「頂の彼方に…栗城史多の挑戦」(2010年7月17日初回放送)
ひきこもり青年が覚醒…世界7大陸の頂へ!
命がけのセルフ撮影!

高校卒業後、上京した栗城史多は、やりたいことも見つからずアパートで引きこもり生活。そんな彼が山に魅せられ、2004年、北米大陸最高峰のマッキンリー(6194m)単独登頂に成功!その後わずか3年のうちに世界7大陸の最高峰=7サミットのうち6つの頂を制覇!さらにヒマラヤ8000m峰のうち3座の単独・無酸素登頂に成功した。驚くことに栗城は登頂するだけでなく、過去のすべての登山の模様を自らビデオ撮影、ヒマラヤの3座以降はネット上で動画配信してきた。
「一人でも多くの人と冒険の共有をしたい」という栗城。デス・ゾーンと言われる標高7500m超の極限状態でさえ自らの状況をセルフリポートしてきた“命がけの映像”を、番組では一挙公開する。
ベールを脱ぐヒマラヤ“死の山”の全貌!

今回アタックするのは“死に最も近い山”アンナプルナⅠ峰(8091m)。4月後半に現地ベースキャンプ入りした栗城はいきなり“死の山”の洗礼を受ける…。間一髪のタイミングで雪崩事故から逃れたり、眼前でスペイン隊の1名が還らぬ人となってしまう…。
そんな中、5月中旬、登頂を開始した栗城。“雪崩の巣”と呼ばれるゾーンに足を踏み入れていく…美しくも冷酷。圧倒的な存在感で人間を呑みこむアンナプルナの刻一刻変化する姿と、一方で想像を絶する危険と恐怖に立ち向かう栗城の姿を克明に描く。
成功なるか!?
8091mの頂からの生中継に挑戦!

8000mを超える頂は地球上で「宇宙に最も近い場所」。…その絶景をヒマラヤから全世界へ向けてネット中継しようという途方も無いチャレンジ。中継の為に栗城は敢えて10数キロのアンテナと機材を背負い、登山を続ける…
「登るだけじゃ意味が無い。みんなと感動を共有できないと…」
しかしその道程は腰まで潜る積雪が延々と続き、過酷さを増してゆく…。はたして「登頂&生中継」は実現できるのか?
デスゾーンで原因不明の全身の痺れ…
そして決死の再チャレンジ!

山頂アタックを目前に控えたハイキャンプで、原因不明の全身の痺れに見舞われた栗城が、苦悩の末に下した決断。それは…頂を目前にしての下山だった…。
様々な想いが巡り、一睡もできずに夜を明かす栗城。
翌朝、隊員たちを前に出た言葉は…
「もう一度、アタックします。」
栗城は最後のチャンスに賭けて、再びクレバスと雪崩の巣に一歩を踏み出した…。