神社百景 GRACE of JAPAN

毎週日曜 夕方6時放送

9月14日(日)
#120「盛岡八幡宮・後篇」

今回ご案内するのは、前回に引き続き、岩手・盛岡の総鎮守(そうちんじゅ)として崇敬を集める「盛岡八幡宮」。盛岡八幡宮のご祭神は、第15代・応(おう)神(じん)天皇こと、品陀和気命(ほむだわけのみこと)。特に、武神(ぶしん)として武将から厚く信仰されてきた神様です。 盛岡の発展と共に歩(あゆ)み、総鎮守(そうちんじゅ)としてあがめられるようになった盛岡八幡宮。 この地をさらに発展させたのが、清和(せいわ)源氏(げんじ)の末裔(まつえい)南部(なんぶ)氏(し)でした。 平安時代の終わりごろ、平泉(ひらいずみ)の藤原(ふじわら)氏(し)を滅(ほろ)ぼした源頼朝(みなもとのよりとも)が、甲斐(かいの)国(くに)から、南部(なんぶ)氏(し)の始祖(しそ)・南部光(なんぶみつ)行(ゆき)をこの地方へ配置。南北朝(なんぼくちょう)時代には、現在の青森県三戸(さんのへ)周辺に基盤(きばん)をおき、室町(むろまち)・戦国時代には、奥州(おうしゅう)の有力(ゆうりょく)大名(だいみょう)に成長しました。 そして、南部(なんぶ)氏(し)26代・南部(なんぶ)信(のぶ)直(なお)が、豊臣秀吉から南部(なんぶ)七郡(しちぐん)の領有(りょうゆう)を認められると、盛岡に築城(ちくじょう)。城(じょう)下町(かまち)として賑(にぎ)わい、明治以降(いこう)は、岩手県の県庁所在地として栄(さか)えてきました。盛岡の発展と共に歩み、総鎮守として崇敬されるようになった盛岡八幡宮。 その歴史を、この地を治めた武将「南部氏」とのつながりを紐解きながらご案内します。

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GRACE of JAPAN ~自然の中の神々~ 新春スペシャル 日本再考~人と自然と神々と~