スキーウェア、ゴルフのマンシングウェア、サッカーのアンブロ、水泳のアリーナ、テニスなどのルコックとスポーツウェアの世界で数々の有名ブランドを擁するデサント。王貞治、横峰さくら、など数々の一流選手と契約し、トリノオリンピック、アテネオリンピックでは日本選手団のオフィシャルウェアに選定、次々と新機能のウェアを開発し確かな技術と信頼で躍進を続ける繊維製品企業である。デサントの前身、石本商店が創業したのは1935年。石本他家男(たけお)がグローブなどの野球関連商品を製造、販売したのが始まりだった。その後、野球用のニットのユニフォームを開発し、1968年に中日ドラゴンズが採用したのを皮切りにユニフォームを数多くのチームに供給。さらに、マンシングウェアの発売で、ワンポイントブームの火付け役に。スキーのデモパン開発などスポーツウェアのトレンドをリードし続けてきた。しかし、1998年、創業以来最大の危機がデサントを見舞った。アディダスの国内での企画、製造を一手に担っていたデサントは、ライセンス契約のうち切るきりを通告されたのだ。当時およそ1000億円あった売り上げのうちアディダス製品の売り上げは、およそ400億円。この未曾有の経営危機の最中、会社再建のため2002年に伊藤忠商事の副社長からデサントの社長に就任し改革を断行。デサントをV字回復に導いたのが田尻邦夫である。伊藤忠商事に入り天安門事件の混乱の中、利益を飛躍的に伸ばした課長時代。事業建て直しのため改革を断行したイギリス駐在時代。業績低迷の中、全社の改革を押し進めた経営企画担当役員時代。改革の断行には「平常心」と「しっかりしたグランドデザイン」が必要と語る田尻の原点と決断に迫る。
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