今日のトップはサッポロホールディングス社長 村上隆男。
サッポロホールディングスは2003年、サッポログループの持ち株会社として設立された。近年、他社に先駆けて開発した第3のビール、ドラフトワンが大ヒット。激しいビール戦争が繰り広げられる中、特色ある商品戦略で好調を維持している。
サッポロホールディングスを2005年から社長として率いるのが村上である。
村上は入社以来30年一貫して製造現場を歩んできた技術系の社長。サッポロでは実に44年ぶりのことである。若き日の工場建設では陣頭指揮を執り、失敗の連続から当時最新の工場を立ち上げた。さらには、海外生産にも果敢に挑み、難しいとされた少量の生産委託を成功させる。そして省エネルギー問題にも真正面から取り組み、村上はひとつの決断で、目標を達成させる。「人間の能力に差はない。情熱と夢を持っていれば解決できないことはない」と言い切る村上の決断と原点に迫る!
村上は1945年疎開先の栃木県で生まれる。戦後実家のある神奈川県にもどり、自然豊かな土地でのびのびと育った。電機の設計技師だった父を見て育った村上は、理数系の勉強がよく出来た。なかでも化学の成績は群を抜いていた。1965年東京大学農学部に入学。ここで農芸化学を学ぶ。研究に没頭し、酒を口にすることはほとんどなかった。そして村上が選んだ就職先は、サッポロビール。その理由は、農芸化学が生かせると考えたことと、父がサッポロビールを飲んでいたことだった。サッポロビールに入社した村上は、工場と本社を行き来しながら、さまざまな新規事業に取り組むことになる。
1978年、村上は静岡の工場作りを一から任される。この工場では、横型の醸造タンクの代わりに10数メートルの縦型のタンクを導入。しかも底面が円錐型のものを業界で始めて全面的に導入した。しかし、工場を作るにあたり、最新システムであるがために、過去のデーターは使えない。村上は、新たなアイディアが出たり、不具合が予想されたりした場合にはすぐに試験を行った。しかし、失敗の連続だった。そして、ひとつずつ問題を解決し、新工場をスタートさせる。村上は思う。「トライアンドチャレンジ。何があっても前に突き進む」
1990年には技術部担当部長に就任。営業担当者と世界中のビール会社を回った。そのときイギリスのビール会社ギネスアイルランドに現地生産の提携を持ちかける。しかし、少量生産ではコストが合わず、品質が保てないと難色を示された。村上は、品質を保ちながらコストを下げる方法を考えたいとギネスに提案。するとギネスは、その考えに共感する。後に提携が実現した。1999年、村上は執行役員製造部長に就任。この頃、省エネルギーの目標がほとんど達成されていないという報告を村上は受ける。
1990年に掲げた省エネ目標は2010年までに、「燃料費の10%の削減」だった。しかし10年以上が過ぎていたのに全く削減されていないというのだ。「どうすれば、燃料費を削減し、省エネルギー目標を達成できるか」コストダウンによって品質を下げることは許されない。工場では、“無理難題だ”と言う声が大半だった。
苦境に立たされた村上は、ここで大きな決断をする。それは失敗を恐れず数々の経験をしてきた村上ならではの大きな決断だった。 |