今日のトップはキヤノンマーケティングジャパン、村瀬治男。
キヤノン販売から今年社名変更したキヤノンマーケティングジャパンは、キヤノンの販売部門が独立して1971年に設立された。扱う商品は、カメラ、オフィス複合機、プリンター、半導体製造装置など全てのキヤノン製品の国内販売を担っている。さらにはシステム構築や販売後の利用者へのサービス・サポートなどを手がけ、キヤノン製品のマーケティング全体を取り仕切る。1999年からキヤノンマーケティングジャパンを率いているのが村瀬治男である。村瀬はキヤノンに入社して以来、そのほとんどをアメリカの販売会社キヤノンUSAで過ごした国際派。その村瀬が語る販売の基本、それは―「顧客主語」。この言葉には村瀬の強い信念と実績が裏打ちされている。1970年代後半−。村瀬は、アメリカで苦戦を強いられていた複写機事業を「顧客主語」を生かした大きな決断で成功に導いていく。村瀬の信条は即断即決。そして、その判断は「顧客主語」で決めるという。村瀬が下した決断とその原点に迫る!
村瀬は1939年横浜で6人兄弟の5番目として生まれる。幼い頃から大勢の兄弟と生活する中で、多くのことを学んでいく。中学高校は、当時としては珍しい一貫教育制度を採用していた私立学校へ通う。厳格さと自由を併せもつ校風が、いろいろな意味で村瀬に影響を与えた。1959年慶応義塾大学経済学部に入学。勉学に励むかたわら、鉄道研究会に所属する。また、学内の文化団体連盟の常任委員としても活躍、複数の団体や多くの仲間を束ねながら、リーダーシップを学んでいく。
1963年、写真好きだった村瀬は、ためらうことなくカメラメーカーのキヤノンに入社する。キヤノンに入社して7年が過ぎたとき村瀬は、アメリカの販売会社、キヤノンUSAに出向を命じられる。その頃キヤノンは、北米市場でカメラを現地の大手撮影機材メーカーを通して販売しており、直販体制の構築と販路拡大が急務だったのだ。4〜5年の海外勤務を想像していた村瀬だが、アメリカとカナダをあわせて結局28年もの北米勤務となる。 1973年、村瀬はカナダの子会社に出向する。カナダの直販体制を強化するためだった。村瀬は、この30人程度の組織で「顧客主語」の原点となる様々な工夫を取り入れていた。会社への郵便物は、当番を決めて郵便局から直接引き取ってから出社することにした。
そして会社の出社時間は通常9時となっていたが、8時に出社し、みんなで手分けして開封。お客からの注文書はすぐにコンピューターに入力した。こうすると、翌日にはお客の元に到着する。お客にいち早く商品を届けることを考えたのだ。 1978年村瀬は再びニューヨークへ呼び戻される。キヤノンUSAは、北米での複写機ビジネスを74年から本格的に展開させていた。しかし、商品力の弱さや販売・サービス網が不十分であったことから、苦戦を強いられていた。村瀬にはその複写機ビジネスの建て直しが求められた。村瀬は感じた。 「複写機ビジネスを北米で成功させるためには、“販売・サービス網の再構築”が必要不可欠である」 複写機は、カメラや電卓と違い、本体の販売後も、品質を維持するための継続的な保守サービスが不可欠である。しかし、これまで電卓を扱っていたディーラーの中には不慣れで消極的な店もあった。どうすれば、しっかりとした販売・サービス網を再構築できるのか?
村瀬は、従来の仕組みにとらわれずに数々の手を打ち、時に大きな決断をくだす。
それは、後に標榜する「顧客主語」を実践する決断でもあった。 |