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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 5月13日

ウェザーニューズ代表取締役会長兼社長 石橋 博良(いしばし ひろよし)

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

  今日のトップはウェザーニューズ社長、石橋 博良。
  石橋がウェザーニューズを立ち上げたのは、1986年。天気を的確に予測し、そこから派生するさまざまな情報を顧客にあわせて提供する気象情報会社である。生活者のための天気予報を標榜し、そのサービスは、船舶、航空、農業、小売業などの業者向けのものから、インターネットの普及とともに広がる個人向けの気象情報サービスまで多岐に渡る。「気象情報には自然と人間を気遣うという社会や個人を超えた普遍的な価値がある」と石橋は言う。この言葉の裏には、石橋の原点ともいうべき若き日の苦悩の経験があった。“15人の命を奪ったのは自分の責任だ”悲劇の海難事故が石橋の人生を変えた。人の命を守るために飛び込んだ気象の世界。しかし、そこには数々の規制が石橋の前に立ちふさがる。『新しい価値の創造には“ロマンとファン”を持つことが必要』と言い切る石橋。気象情報に人生をささげた石橋の原点と決断に迫る!
  石橋は1947年、千葉県で四人兄弟の末っ子として生まれる。東京に移り住んでいた中学のとき、伝書鳩をどうしても飼いたいと思い、新聞配達を始める。ある日、新聞を配達した家のポストに『ご苦労さん』と書かれた封筒があった。その中には100円玉。石橋に送られたものだった。それを母に話すと、母は言った。『今、お前は百円をもらってうれしいだろうが、お前に百円をくれた人はもっといいことをしたと喜んでいる。お前も人にあげる喜びを味わえる人になりなさい』石橋は今でもこの言葉を大切にしている。一方、勉強はというと、さんさんたるものだった。 高校は普通科を諦め、工業科に進学した。しかし、高校一年のとき、その気になって勉強してみると、たちまちクラスで3番目の成績になってしまう。さらに、苦手だった英語に取り組むと、すぐに1番になってしまった。 その後、北九州大学の外国語学部英米学科を卒業した石橋は、総合商社安宅産業に就職する。石橋は入社間もなく任されたのは、海外から木材を輸入する船の手配や港を決める仕事。そこで石橋は運命の事故に遭遇する。
1970年1月30日。その日、ある船から、停泊する港では混雑しているため、積み込みまで10日間待たねばならないという連絡が入る。それを聞いた石橋は、港の変更を指示した。担当者として当然の指示だった。ところが、変更した港を嵐が襲う。船は瞬く間に沈没。15人の乗務員の命が絶たれてしまったのだ。不慮の事故。しかし石橋は自らの責任を感じずにいられなかった。「俺のやるべきことは船乗りの命を守ることではないか」そう考えた石橋は、アメリカの海洋気象会社“オーシャンルーツ”への転職を決意する。ウェザーニューズの親会社だった会社である。
  石橋がオーシャンルーツに入社したのは1973年。持ち前のバイタリティーと商社時代に培った人脈を使い、次々とマーケットを開拓していく。入社2年後には日本支社の売り上げは倍増。そして日本支社長に就任する。そんなある日、仕出し弁当の会社から、「運動会シーズンの気象情報が欲しい」と申し入れが入る。大量の弁当を作ったあと雨でキャンセルが出ると、大きな損害が出てしまうため、その日の正確な天候が知りたいというのだ。石橋はこのとき、ひらめく。「海だけにこだわることはない。気象情報が欲しい人は陸にも空にもいる」
さらに、1983年には日本全国のテレビ局に本格的な情報提供を開始。メディアへの進出も図っていく。ところが、このメディア部門が赤字を出してしまう。自ら手がけてきた、メディア部門や海洋以外の事業をどうすべきか?石橋は大きな岐路に立たされる。そこで石橋は、自らの信念を貫くために最大の決断をする。
  果たして石橋が下したその決断とは?!

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