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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 4月29日

NTTデータ代表取締役社長 浜口 友一(はまぐち ともかず)

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 今日のトップはNTTデータ社長、浜口友一。
 NTTデータは1988年、NTTのデータ通信事業本部が分社化され、産声を上げた。以来、政府機関や金融機関を始めとし、民間企業向けなど幅広く、大規模情報システムを構築・提供。日本を代表するシステムインテグレータとして成長を続けている。2003年からNTTデータを社長として率いているのが浜口友一である。浜口は、旧電信電話公社時代からデータ通信事業にかかわり、40歳の若さにしてすでに、NTTからの分社化を検討するプロジェクトのリーダーを任されていた。民営化の後、初の分社化という、一大事プロジェクトを核として成し遂げたことにより、浜口は何を学んだのか。あれから20年、浜口は今、何を考え何を思うのか?
  「ITとは人間のためにあるもの」と語る浜口が下した決断とその原点に迫る!!
 浜口は1944年、徳島で長男として生まれる。一人っ子の浜口は、親の愛情とともに健やかに育つ。中学に入学した浜口は、ブラスバンド部でサックスに明け暮れる日々を送る。毎日練習を欠かさない音楽青年だった。ブラスバンドの練習の中でひとつのことを成し遂げるときの、チームワークの大切さをこのときに学ぶ。その後、地元の名門県立城南高校を経て、京都大学工学部に入学。大学時代の遊びはもっぱらマージャン。しかし、一方では勉強を怠ることのない勤勉な若者でもあった。研究室では、電離層の解析等の研究に没頭した。京都大学の「学生の自主性を重視する校風」の中で、浜口は強い信念を持って自分自身を確立していく。そして、就職先として浜口が選んだのは当時の電信電話公社。研究室の教授の勧めであった。電信電話公社に入社して11年後の1978年。浜口は電電公社の未来に関わる仕事を担当する。データ通信本部総括部に配属されたのだ。総括部とは国会や組合への対応やそれに伴う資料作りを任される部署、浜口はそこで電電公社という組織を客観的に見ることになる。当時、国会や政府では通信事業の自由化への道筋を立てるべく、電電公社が持っていた通信回線を民間に開放する議論がなされていた時期である。 国会や組合対応の中で浜口は、電気通信事業の将来のあり方を目の当たりにする。「民営化はやむをえない」当時、浜口34歳であった。
 その後、将来分社化することになるデータ通信本部に配属。データ通信本部は、民営化を控えた電信電話公社の中でも成長が期待される分野である。それだけに、同業者からは“電話事業の利益を取り込んで赤字受注している”などの批判が絶えなかった。1984年四国電気通信局のデータ通信部長として2年が過ぎようとした頃、浜口に最大の転機が訪れる。1984年、浜口は本社に呼び戻されたのだ。そして、40歳を過ぎたばかりの浜口が担った仕事、それは“データ通信本部を今後、どうしていくか”を検討するプロジェクトチームのリーダーだった。翌年、日本電信電話公社は民営化、現在のNTTとなる。一方で、データ通信本部をNTTに残すか、あるいは分社化するかの検討を重ねる中で、浜口はひとつの答えを出していく。「NTTの中では、制度の制約もあって、SI市場の競争に勝ち残っていけない。やはり分社化すべきだ」しかし、日本経済史上過去あまり例のない大規模な分社化。データ本部にもNTTから離れることを不安に思う社員も少なくなかった。さらに、成長分野と見られていたデータ本部が分離されれば、“NTTの株の価値が下がるのでは”と心配する株主の声も上がった。プロジェクトのリーダー浜口は、分社化に向けて、皆を説得しなければならない立場に立たされたのだ。“どうすれば皆が分社化に納得してくれるのか?”浜口は考えた。そして一つの決断を下す。
 果たして浜口が皆を説得するために下した、その決断とは?!

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