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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 4月1日

大和証券グループ本社 代表執行役社長 鈴木 茂晴

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 今日のトップは大和証券グループ本社社長 鈴木 茂晴(すずき・しげはる)。
  業界大手の大和証券グループ。傘下には個人向け取引を中心とする大和証券、法人向け投資銀行トップクラスの大和証券SMBC、リサーチ部門で国内No1の評価を誇るシンクタンク・大和総研などを持つ。リテールの大和証券では、コンサルタント営業を強化。また個人向け投資顧問のダイワSMAなど新しいサービスも拡充。さらにネット取引への本格参入で店舗とネットの融合をはかり激変が続く証券業界のトップを目指す。
  鈴木は1999年の大和証券SMBC設立の陣頭指揮を執り活躍した。鈴木は言う。「自分の功績ではなく優秀な部下たちのおかげだ」2004年社長に就任。モットーは『人生を楽しめ』仕事も遊びも貪欲に追及し攻めの経営をしかけ続ける。人とのつながりの大切さを知った支店時代。部下を動かすその人材活用術とは?
  金融戦国時代、天下取りを目指す証券業界の武将。鈴木茂晴の経営哲学と原点に迫る!

1947年、鈴木は岡山に生まれる。幼少の頃、京都に移った。高校は当時にしては珍しく制服を強要されない自由な校風だった。ここで鈴木は水泳部で体を鍛えた。大学は慶応義塾大学に入学。鈴木は最初大学でも水泳部に入るつもりだった。だが、昔から慶応のファンだった母親から「あなた慶應に入ってまで水着姿になるの」と言われ思い直す。一転して音楽サークルに入部する。ギターを片手にカントリーの演奏に熱中した。
  大学3年の時、銀行に勤める従兄弟から「これからは証券が伸びる」と聞き、4年の春に大和証券を訪問。するとその日に試験を受け、とんとん拍子に内定が決まってしまった。父親に報告するも、鉄道の設計技師だった父は証券会社のことなど全く知らなかった。ここで鈴木は本店営業部を皮切りに営業畑から歩んで行く事になる。
1983年、鈴木は秘書室に配属される。ここで鈴木は経営トップの人々を目の当たりにする。会社全体を俯瞰する新たな視点を知り組織力の重要性を学んだのだ。また、組織を支える「人」を活かすことを常に心がけるようになる。
1991年、法人向け資金調達のアドバイスを行う引受第一部長に就任。ここで鈴木は思う。「優秀な人材がもっと欲しい。それには仕事をこなし実績を残さなければ人事も人を回さない」鈴木は考えた。他の部署が引き受けない新商品の開発や企画を率先して引き受けるようにしたのだ。それにより仕事量は膨大になり、様々なプロジェクトも立ち上げていった。その結果、鈴木のもとには有能な人材が集まり部の人数は数倍に膨れ上がった。
1990年代後半、未曾有の金融危機の中鈴木に社運を賭けたプロジェクトが任される。住友銀行(現・三井住友銀行)と合弁で証券会社の設立が決まったのだ。そして鈴木が住友銀行との交渉を託された。設立に向けて失敗はゆるされなかった。
1999年、鈴木はこの大役を見事成し遂げ、大和SBCM(現・大和証券SMBC)が設立される。周囲からはこの功績を高く評価された。だが鈴木は言う。「この成功は自分の力だけではなく優秀な部下がいたから達成できた」常に人を活かすことを考え続けた鈴木だからこそ成し遂げられたことだった。

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