今日のトップは高砂香料工業社長 武弘樹(たけ・ひろき)。
高砂香料工業は国内最大手、世界ランク6位の香料会社。飲料や食品向けの香料・フレーバー、化粧品や入浴剤向けのフレグランスなど身の回りの様々な香りを演出している。高砂がもつ、香料の原料、エル・メントールの生成技術は世界で2社しか出来ない独自技術。ノーベル化学賞を受賞した野依教授の不斉合性技術によるもの。そんな独自技術を強みに、近年は海外進出も積極的に展開。「TAKASAGO」ブランドを世界に広げ、世界のトップスリー入りを目指す。
武が社長に就任したのは2004年。成長著しい食品用フレーバー部門で会社を牽引してきた。武は言う。「感動を共有せよ」。香りの仕事はすなわち人と心を一つにすること。そんな武自身、人と人との心のつながりを大切にしながら今の地位まで上ってきた。日本の香りを演出する武弘樹の経営哲学と原点に迫る。
1944年、武は石川県に4人兄弟の長男として生まれる。実家は100年の歴史を持つ呉服屋。子供の頃は家を継ぐのが当然だと思っていた。しかし、中学校の時、校長先生が「家を継ぐにも高校、大学は出た方がよい」と親に進言。中学卒業後、京都へ丁稚奉公に行く予定だったが、武は進学を決める。だが高校からの大学受験、最初の年は失敗。東京で下宿をしながら勉強することになる。その武のもとへ衝撃的なニュースが入る。実家の呉服屋が倒産してしまったというのだ。
店を継ぐ道はなくなり、武はここから自分の人生を歩む事になる。1963年、学費のかからない国立を受験。北海道大学文学部に入学を決めるのだった。大学3年生の時、親の紹介でたまたま高砂香料工業を見学。そこで出会った人々の温かさに惹かれ卒業後は入社を決める。呉服屋の跡継ぎからサラリーマンへ、武のビジネスマン人生が始まるのだった。
1970年半ば、武がフレーバー事業本部にいた時、日本に初めて缶コーヒーが登場する。当時、缶コーヒーに香料は使われておらず、甘めの味付けがされていた。食品用香料の存在自体があまり知られていなかったのだ。
武はこれに目を付ける。全国の飲料会社を行脚し、加工にも耐えうる高砂の香料の存在を熱く語った。その結果ほとんどの缶コーヒーで香料が採用されるようになる。武の営業で日本の缶コーヒーの味は大きく変わったのだった。
1987年、武がフレーバー営業時代、飲料会社からある問合せが来る。アメリカで缶ジュースを作り、それを日本に逆輸入出来ないかというのだ。当時、円高で為替差益を狙ったプロジェクトだった。確かにアメリカでは香りの原料となる果汁の仕入れも充実している。だが先方は、香料の提供だけではなく製品を日本へ輸出するまで受けもってほしいという。しかし、香料は中間商品で高砂は最終製品までを手がけた事がない。会社は喧々諤々の議論となる。そして武は悩んだ末に決断を下す。
果たして武の下した決断とは!? |