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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 2月19日

セーレン社長 川田達男

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今日のトップはセーレン社長 川田達男(かわだ・たつお)。
  セーレンは1889年に福井県で繊維の染色加工業として誕生。その後、繊維技術の応用から異業種参入に成功。現在、事業領域はバイオ、エレクトロニクス、ハウジングなどへ拡大。その製品は、衣料はもとより、カーシート、エアバッグ、化粧品、住宅用建材等多岐に渡る。近年は1670万色の染色を可能にしたビスコテックス・システムが大ヒット。2期連続の過去最高益を達成。2005年度も記録更新を目指すエクセレントカンパニーである。
  地方の下請け企業だったセーレンを脱皮させ現在の形にしたのは現社長の川田である。川田は言う。「常識を打ち破れ」
  そんな川田は入社直後から左遷の連続。社内の異端児として疎まれてきた。その異端児がいったいどうやってトップまで上り詰めたのか。
  逆境から本流へ。川田達男の挑戦と原点に迫る!

1940年、川田は福井県に生まれる。高校時代は野球部で汗を流す。一年目からレギュラーを獲得。ショートで3番として活躍した。1958年、明治大学に入学。経営学部でビジネスについて学んだ。
1962年、福井精練加工に就職。現セーレンである。地元の優良企業に就職したつもりだった。だが、入社し社内の実態を見て川田は驚く。そこでやっていたのはただの下請け。物も作らず、営業もせず、決まった仕事を機械的にもらうだけ。大学で経営学を学んだ川田には考えられないことだった。研修中だった川田は人事部へのレポートで率直にその疑問を訴えた。「この会社はおかしい。市場と向き合い、自社で物をつくらなければ未来はない」
  だが、入社早々の経営批判は人事部の怒りを買う。川田は当時大卒では前例のない工場配属を言い渡される。周囲からは「あいつは出だしで終わったな」とまで言われる。川田のビジネスマン人生は逆境から始まるのだった。
1975年、川田が35歳の時、営業開発部に課長として配属される。ところが、実はここ、全く機能していない窓際部署。二人いた部下も社内では異端児で、口うるさい社員を隔離するための人事だった。さすがの川田も会社を辞めることを考える。
  「だが、ここで引いたら自分が間違ったことになる。まだ何も形にしていない」 川田は奮起する。二人の部下と知恵を出し合い、傘の布地、靴の中敷など作れるものは何でも作り飛び込み営業を始めたのだ。
  そんな時、自動車メーカーからある話を耳にする。当時、自動車シートは塩化ビニールが主流。繊維は耐久性が足りず使えないと思われていた。だが、繊維を知る川田にすればできないことではない。川田は動く。
  しかし試作品を作ろうにも異端児たちに許可はおりず、上司からは「俺の目の黒いうちはこの仕事をさせない」とまで言われた。川田は考える。ニーズはある。しかし、工場を使えなければ試作品も作れない。悩んだ末に川田は決断する。それは異端児が起こしたモノづくりへの決意だった。
  果たして川田が下した決断とは。
直撃! トップの決断