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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 2月5日

富士写真フイルム社長 古森重

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 今日のトップは富士写真フイルム社長 古森重驕iこもり・しげたか)。
 富士写真フイルムは日本のみならず世界でも有数の総合写真メーカー。1934年の創業以来日本の写真文化の一翼を担ってきた。国内カラーフィルムのシェアは7割。デジタルカメラの競争が激化する中、デジタルプリントサービスの拡充をはかる。また近年は売上げの多くをデジタル関連商品が占めるなど多角化も進む。現在海外での売上げが半分を占め、200以上の国と地域で事業を展開。今年から中国への進出も本格化。世界戦略を着々と進める。2008年までには売上高3兆5000億円を目指す業界のリーディングカンパニーだ。
 2000年、世紀の変わり目で社長となった古森。古森は言う。「信義を重んじ、物事から絶対逃げない」。東大アメフト部で男を磨いた硬骨漢である。一貫して歩んだ営業畑でビジネスマンとして何を学んだのか?
 57歳にて初めての海外赴任、そこで古森が見たものとは?業界の熱血漢、古森重驍フ経営哲学と原点に迫る。

 1959年、東京大学経済学部に入学。大学生活一年目の秋、古森は壁新聞にある記事を見つける。そこには出来たばかりのアメフト部で部員が試合中に事故死したと書いてある。後にはアメフトは危険なスポーツだとの批判が続いていた。
 普通だったら怖気づくところ、古森はなんと「そんなにハードなスポーツならむしろやってみたい」と体の大きな友人を誘ってすぐに入部した。そして、創部2期生としてアメフトに明け暮れる。戦いにおけるファイティングスピリット、力とスピード、そして戦略の重要性を実感するのだった。
 1963年、卒業後は富士写真フイルムに入社。経営企画を初め、主に営業畑で経験をつむことになる。
 1996年、古森は欧州販売の拠点、ドイツのフジフイルムヨーローッパに社長として赴任する。語学を専門的に学んだわけでもなくしかも、57歳にしての初の海外赴任。古森は赴任にあたり次の事を誓った。
「現地の各国人と徹底的にコミュニケーションをとる」「自ら思い描く国際戦略を実行する」
 EUでビジネスの共通語は英語。古森は毎日12時間の仕事をこなした後、必死になって語学の勉強をした。会議では話が伝わらなければ黒板に文章を書き、最後は絵に書いて議論した。語学力が足りない分を熱意で補った。
 そして国際戦略。この当時フジフィルムはヨーロッパにおけるカラーフィルムでコダックに次ぐ2位、25%のシェアを持っていた。だが、品質と製品のラインアップの広さに絶対の自信のある古森は思う。「力に見合った地位を得る」。
 そこで古森はある商品に目を付けた。それは人間の眼が感じる通りに色を再現できる画期的な技術を盛り込んだカラーネガフィルム。ただ、プロやセミプロ用の商品で、一般ユーザー向けとは言えなかった。古森はそれを一般向けに商品化することを提案したのだ。しかし、日本からは標準ラインナップにするにはコストアップになると猛反対にあう。
 そこで古森は考え、決断を下す。それは商品に対する自信の表れだった。
 果たして古森の決断とは!?
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