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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 1月22日

三菱商事社長 小島順彦

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今回のトップは三菱商事社長 小島順彦(こじま・よりひこ)64歳。
三菱商事は世界80カ国、200を超える拠点を持つ巨大総合商社。
近年は中間業者からの脱却を果たし、収益の大半は事業投資から。
傘下には550以上の会社を持ち、あらゆる国と地域、あらゆる産業と接点を持つ。
2005年3月期は資源価格の高騰や中国・インドの成長の影響で1800億円を超える過去最高益を達成。
多様化する国際経済の中、更なる飛躍を遂げるスーパーグローバルカンパニーである。
小島は2004年社長に就任。
小島はいう。「安心するな、慢心するな足元をしっかり見つめ、気を引き締めて業務を行え」そんな小島のもと三菱商事は「新・産業イノベーター」を提唱。次世代を担う新産業創設の支援に邁進する。
静かなる改革者、小島順彦の経営哲学と原点に迫る。

1941年、小島は東京都に生まれる。父親は普通の会社員だった。
1960年、慶応義塾大学経済学部に進学。だが、ここで負けん気の強い小島はいてもたってもいられない気持ちになる。浪人した同級生のほとんどが東京大学を目指して猛勉強していたのだ。
実は小島も東大受験を失敗していた。触発された小島は再び東大受験に向けて猛勉強を始める。
そして、1961年、見事東京大学工学部に合格を決めたのだった。
1978年、小島に初めての海外赴任の辞令が下る。行き先はサウジアラビアの現地企業。
24カ国から500人以上の社員が英語を共通語として働いていた。その中に日本人は小島一人だった。
最初、英語を話す事にとまどいもあった小島だが、世界中から来た社員の様々な発音に触れるうちに言葉の本質に気づく。
「言葉とは単なるコミュニケーションの手段。きれいな英語より、しっかり自分の意見を伝えることが大事」下手な英語でも自己主張することの大切さを学ぶのだった。
1985年、米国三菱商事に転勤となる。
ここで小島はハーバードやスタンフォード卒の優秀な部下たちと臆することなく接することができた。サウジアラビアでの経験のおかげだった。そんな中、東京の本社と小島の居たアメリカ法人が組んで、韓国に製鉄プラントを輸出するという話が持ち上がる。
東京本社主体の話だったが、円高の影響もありアメリカ製品を入れて競争力を高める狙いだった。しかし、最終的にはアメリカ製品が全体の7割を占めるに至る。ここで韓国側から驚くべき提案がなされる。小島は悩んだ末に、その提案を受け入れる。それは今までに前例のない画期的な決断だった。
果たして小島の下した決断とは!?
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