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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 1月8日

日本電波塔社長 前田伸

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今回のトップは日本電波塔社長 前田伸(まえだ・しん)43歳。
「日本電波塔」それが「東京タワー」の正式名称である。
経済白書が「もはや戦後ではない」と謳った1956年(昭和31年)に建設計画がまとまり、翌年、前田の父である前田久吉(まえだ・ひさきち)が日本電波塔株式会社を発足。
日本全国から集められた一流の職人たちの手によりこの地上333メートルという未曾有の建築物は次第に全容を現していった。
そして、1958年(昭和33年)完成、開業に至る。
以来約半世紀、日本の首都、国際都市東京のシンボルとして、見る者訪れる者を楽しませ、また人々の心の中に生き続けてきた。
前田が社長に就任したのは2005年9月。前社長の急逝を受けての就任だった。
そしてもう一つ、前田は千葉の観光牧場、マザー牧場社長の顔も持つ。
幼き日、父を訪れる財界人から何を学んだのか?
慶應大学時代、経営に目覚めた村田教授の教えとは?
新タワー構想に揺れる中、前田は東京タワーをどのように導いていくのか?
前田伸の原点と経営戦略に迫る!

1962年(昭和37年)、前田は東京に生まれる。
父親は産経新聞の創業者であり、東京タワーやマザー牧場なども創設した前田久吉である。
財界に厚い人脈を持ち、ソニーの井深大(いぶか・まさる)氏や松下幸之(まつした・こうのすけ)氏も訪ねてくるという家庭環境に育った。
中学から慶応義塾で学び、大学は法学部に進むが、経営に興味を持ち始めた前田は、商学部の村田昭治教授のゼミに参加した。
村田ゼミは毎週企業経営者を呼んで話を聞き、また経営について議論を戦わせた。
ここで前田は経営者としての素地を培ったのである。 
1987年、慶応大学を卒業し大阪銀行に入行。時はバブル、金融業が華々しい時代だった。
前田は東京国際資金部で金融を学ぶとともに海外勤務も経験する。
1990年、日本電波塔の取締役とマザー牧場の副社長に同時に就任、経営者としての道を歩み始める。
1992年、前田伸はマザー牧場の社長に就任する。
マザー牧場は1962年に前田の父、久吉によって創設された。
大阪の貧しい農家で生まれた久吉にとって、母がいつも言っていた「家にも一頭牛がいたら、暮らしもずっと楽になるけど・・・」という言葉が心の奥深く残っていた。
日本に畜産振興が必要であることと、今はなき母に捧げる牧場という気持ちをこめて「マザー牧場」と名付けた。
人を集めることが好きだった久吉は、マザー牧場を生産牧場ではなく観光牧場として創設したのである。
しかし、前田が社長に就任した1992年、バブル経済は崩壊し、日本は未曾有の不況とデフレの入り口に立っていた。
前田はリストラを余儀なくされる。230人の社員を段階的に130人まで削減し、財務の強化を図った。
しかし、業務縮小の中で前田が持ち続けたもの、それは、新しいアトラクションを作り続けるという意志だった。
ニュージーランドなどの農業国とアイデア交換をし、牧羊犬を使った牧畜スタイルを取り入れてみたり、アヒルの大行進や羊の毛刈りなど大きな投資をしなくても出来ることを次々と試していった。
そんな中で、前田は一つの企画に惹かれた。
マザー牧場の人気メニューの一つにジンギスカンがある。
ジンギスカンといえばモンゴル。
ジンギスカンを食べて強くなった、モンゴル相撲の力士を子供たちに見せてやりたいというのだ。
だが、どこにどう話を持っていけばいいかも分からず前田は悩む。
そして前田はある決断をし行動に移す。
果たして前田は何を決断しどう行動したのか!?
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