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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 11月13日

株式会社オートウェーブ 取締役会長兼社長 広岡 等

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今日のトップは株式会社オートウェーブ 取締役会長兼社長 広岡 等(ひろおか・ひとし)66歳。

オートウェーブは千葉県を中心にカー用品の販売や、車のトータルメンテナンスサービスを手がける。
平均面積6400坪という巨大店舗をベースに、カーナビの取り付けからタイヤ交換、車検まですべてができるという技術に特化したサービスが大ヒット。また、年中無休。雨の日は傘を持って出迎え、駐車場やピットでは絶対待たせないという徹底した顧客重視の営業で業績をのばす。
1990年に創業し、2000年には店頭公開を果たす。
近年は首都圏にまで出店攻勢をかけ、2010年までに売上げ一千億円を目指す。
創業者の広岡は50歳で会社を興した遅咲きの起業家。
広岡は言う。「自分の目線を高く持て」思いはかなう。要は掲げる目標と意志の強さ。
そんな広岡はオートバックスで30年のキャリアを積んだ後、役員の座を蹴って会社を興した。
叩き上げの苦労人。未だ道半ばという夢追い人。広岡等の経営哲学と原点に迫る。

1955年、三重県の上野商工高校(現・上野商業高校)に入学した広岡はサッカー部に所属。全国大会ではベスト8まで行く。卒業時には大手企業や大学からスカウトも来た。だが、早く独立したかった広岡はこれらの誘いをすべて断る。  
結局、修行の場として自動車部品販売の大豊産業へ入社。後のオートバックスセブンである。この時は、まだできたばかりで社員20数人の小さな会社だった。広岡は夜行を乗り継ぎ、列車で寝泊まりしながら全国を回った。
そして新たなビジネスチャンスを見つける。
当時、カー用品は修理工場やガソリンスタンドでしか扱っていなかったが、広岡は一般市場で需要の高まりを感じていたのだ。
1974年、広岡の進言で、カー用品販売の「オートバックス」が設立される。
その後、オートバックスは最大手として成長していくことになる。
1990年、広岡はオートウェーブを設立。千葉に第一号店をオープンした。
当時、大きくても100坪程度の時代にその店は2000坪の敷地を持っていた。
「カー用品は物販だけでなく、同じくらい技術サービスが大事」と、あらゆるメンテナンスができるようにしたのだ。ただ、そこは車自体が通らない田舎道。客は来ず店は初年度から大赤字を出した。広岡はここから徹底して顧客重視の集客作戦を繰り広げる。
まず営業時間を延長し年中無休に。車磨きを赤字覚悟でディスカウントし雨の日には駐車場まで傘を持って出迎えた。
広岡の試みは当たる。
徐々に客足は増え、3年後には一店舗でカー用品の売上げ日本一にまでなる。その後次々と新店舗を展開。
だが、広岡はしだいに思う。「もっとお客さんに満足してもらいたい。それにはもっと広い場所が必要だ」
1996年(平成8年)、広岡は東京都が晴海に土地を貸し出すという情報を耳にする。その面積なんと一万坪。
だが、調べてみると7年の期間限定で、建物の使用も色々と制限があることがわかる。
出店するにも制約が多い。採算は取れるのか。それにここまで広い店舗は前例がない。
悩んだ末に広岡は決断を下す。
果たして広岡の下した決断とは!?

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