| 今日のトップはドクターシーラボ 取締役会長 城野 親徳(しろの・よしのり)42歳。
ドクターシーラボは設立1999年の若い会社。皮膚の専門家が開発したメディカルコスメを主力にスキンケア市場で著しい成長を見せている。売上げの6割を占める通信販売では現在230万人以上の会員を誇る。
【売上高推移】
2000年3億円
2001年15億円
2002年43億円
2003年80億円
2004年119億円
2005年151億円
2003年、ジャスダックに上場し、その2年後には設立わずか6年にして東証一部上場を成し遂げた。
現在は美容機器、健康食品、サプリメントなども販売。5年後には売上げ1,000億円を目指す。
始まりはわずか3人の小さな皮膚科クリニック。城野は院長として自ら商品開発に携わってきた。
城野は言う。「自分に打ち勝つことが趣味。人がやったことのないことをやりたい」。
会員数1000万人を目標に、グローバルブランドを目指していく。
医師と経営者の二足のわらじをはきこなす城野親徳の経営哲学と原点に迫る。
直撃トップの決断!
1963年(昭和37年)、城野は外科の開業医の家庭に生まれる。(東京に誕生)父親は本業の傍ら様々な事業を手掛けており、城野一家は父親の業績しだいで豪邸からアパートへ、アパートから豪邸へと移り住んだ。
中学から名門武蔵学園で学び、高校時代はひたすらギターの練習に打ち込む。
腕はセミプロ級でアマチュアながら多くのファンを持つ有名なバンドだった。この頃の夢は「日比谷の野音をいっぱいにすること」だった。
しかし、3年になり城野も受験のことを考える。当時は慶応の医学部がパーティーなどで脚光を浴びた時代で城野はその華やかさに憧れ慶応医学部を目指すようになる。
だがその時、成績は学年で下から十番以内。城野はここから猛勉強を始める。
1日の勉強時間は20時間。机にかぶりついて勉強を続けた。
受験前には学年順位を上位10番以内まで上げることに成功する。
1982年、見事慶応医学部に合格する。大学では家庭教師をしたりパーティーイベントを開いたりと活発に活動する。華麗なる学生時代だった。
1988年、卒業後は大学病院で外科の研修医として働き始める。
だが城野はあることに気づく。当時、薬や超音波医療が発達し、外科の需要が減ってきていたのだ。それなのに外科医は全国に何万人もいる。さらに大学病院の派閥争いにも嫌気が増してくる。
城野は思う「外科医の将来は暗いのではないか」1991年、城野は大学病院を辞め、新しい道を模索し始める。
1995年、城野は32歳の若さで皮膚科クリニックを開業。レーザー治療を開始した。
1995年「シロノクリニック」開業。
始めてみると周囲の声とは裏腹に全国から皮膚に悩みを持つ患者が殺到。
クリニックは毎日夜までいっぱいで、大成功をおさめるのだった。
治療をする中で城野は様々な悩みを抱える人達に出会う。
中には顔のあざを隠すため、結婚して何十年も夫に素顔を見せたことがないという女性もいた。「肌の悩みを抱えるすべての人を救いたい」城野はスキンケアについての研究を始める。
研究では質感、使い心地など試行錯誤を重ねた。また集めた肌のデータは約2万人にも達した。そして1年後ついに「万能保湿ゲル」の開発に成功する。
当初は患者だけに販売していた。だが、口コミであっという間に評判が広がり、在庫切れで欠品状態にまでなる。さらには地方の患者から送ってほしいという要望も相次いでくる。
城野は悩む。
「もっと機能的に販売できる方法はないか」そして悩んだ末に決断する。
果たして城野の下した決断とは。 |