| 今日のトップは日本コカ・コーラ株式会社 代表取締役社長 魚谷 雅彦(うおたに・まさひこ)51歳。
日本のコカ・コーラシステムは、競争激しい飲料業界でシェア3割強とトップを走り続ける。
炭酸飲料の王者として君臨するコカ・コーラ。
そして、ジョージア、爽健美茶と数々のヒット商品を持ち、今年は競争激化する緑茶市場にも新製品一(はじめ)を投入。さらなるシェアの拡大をはかる。
今年一月からは、全国の調達・製造・物流の一元管理を本格稼動。2007年までに250億円以上のコスト低減効果を目指す。
魚谷は、ライオンを皮切りにクラフト・ジャパンなどでキャリアを積んだ後、1994年、日本コカ・コーラに入社。2001年、26年ぶり、2人目の日本人社長に就任。
座右の銘は「志は高く、でも足元のこともきちんとやる」。そんな魚谷は、日本発のグローバルブランドとして世界に通用する商品の開発を目指す。
常にポジティブ・シンキング。逆境をチャンスに変えてきた、魚谷雅彦の経営哲学と原点に迫る。
直撃トップの決断!
1954年(昭和29年)、魚谷は奈良県に生まれる。
父親は鉄道会社に勤務。ごく普通の家庭の一人息子として育った。
1973年、英語に興味のあった魚谷は、同志社大学英文科に入学。そこで魚谷は、その後の人生に大きな影響を与える一人の助教授に出会う。
アメリカ帰りのその助教授はベルボトムに長髪姿。
「君たちに本物の生きた英語を教えたい」と語るその情熱に感動した魚谷は、いつしか米国への留学に憧れるようになる。
卒業後は「留学制度のある会社に」とデンタル商品のライオンへ入社。
しかし、待っていたのはドブ板回りの営業ばかり。こんなはずではなかったと魚谷は落ち込む。
悩んだ魚谷に会社の顧問は諭した。「悩みを持つことはいいことだ。一年後も今と同じ気持ちだったら、別の道を歩みなさい」。
「一年やるだけやってみよう」そう思ったとたん魚谷の中で何かが吹っ切れる。気持ちを入れ替え仕事に専念しだすと、そこから成績が急カーブで上がり始める。
その後努力が認められ、魚谷は入社3年目に留学試験に合格。過去に留学したのは社7−8年以上の中堅社員ばかり。異例の抜擢だった。
1981年、魚谷はコロンビア大学のビジネススクールで学び始めることになる。
1994年、魚谷がクラフト・ジャパンにいた時のことだった。日本コカ・コーラから上級副社長として来ないかという誘いが来る。
魚谷は考える。強大なマーケティング力を持つ日本コカ・コーラは憧れの会社。だが、すでに完成された大会社でもある。自分が行っても今更やることはないのじゃないか。魚谷は一度は誘いを断る。
しかし、当時社長のホール氏は言った。「日本コカ・コーラは出来上がった組織のように見えるが、改革の余地はいっぱいあるんだ」
魚谷はこの言葉に変革への強い意志を感じ、転職を決意するのだった。
魚谷は日本コカ・コーラでナショナル・ブランド、国内市場向け商品のマーケティング担当となる。
3ヵ月後には主力商品のひとつである缶コーヒー「ジョージア」の新キャンペーンが控えており、あらゆるスケジュールが決まっていた。しかし、魚谷はここで違和感を感じる。
それまでジョージアの広告戦略はアメリカの労働者が缶コーヒーを飲むという男らしさをビジュアル化したものだった。
魚谷がデータを見てみると「親しみやすいが、ちょっと古い」との声がある。他社からは競合製品が次々に発売されている時だった。
だが、当時ジョージアはすでに50%近いシェアを占めており、現場で疑問を持つ者は誰もいなかった。
ここで魚谷は考える。もう一度本質を見極める必要があるのではないか。
消費者が缶コーヒーに求めるものは何か?
だがやり直すにも実施まで3ヶ月。時間もない。
魚谷は悩む。そして決断を下す。
果たして魚谷が下した決断とは。
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