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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:相沢礼子

■放送日 7月10日

株式会社 ロイヤルパークホテル取締役社長 中村 裕

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今回のトップは株式会社 ロイヤルパークホテル取締役社長 中村 裕(なかむらゆたか)

1989年にロイヤルパークホテルは開業した。場所は東京メトロ水天宮前駅と直結している、いわば下町。このホテル戦国時代の中で、下町の国際級豪華ホテルを標榜し、安定した集客力で人気を集めている。

このホテルを開業から総支配人として率い、今では、社長を兼務するのが中村裕である。
中村は、日本人で始めて世界有数のホテルチェーンヒルトンの総支配人を勤めた経歴を持つ、エリートホテルマン。
しかし、ヒルトンに入社した中村の最初の仕事はなんとベルボーイ。以後、客室係などホテルすべての現場をヒルトンで叩き込まれ、総支配人まで上り詰めた、たたき上げの男である。
   
中村の経営のポリシーは、現場の声を大事にする、いわゆる「現場主義」を貫くこと。社長を兼務する今でも、1日3回朝、昼、晩とホテル内の従業員に声をかけお客の様子を見て回っている。そして、社長室は1階フロントのすぐ裏に置き、緊急事態はもとより、普段の運営においても、現場に近い場所で自ら対応できるように備えている。

今年、ホテル協会の会長に就任。ホテル戦争が熾烈を極める中で、ホテル業界全体の盛衰までも中村の肩にかかってきているのだ。生まれ変わっても私はホテルマン」と言い切る中村裕。
ホテル業界の将来を任された男の原点と決断に迫る!直撃トップの決断!


中村は明治大学政経学部に入学すると、すぐに本格的な英会話や英語でのディベートを訓練する場である、ESSの門を叩いた。高校時代に英会話の楽しさを知った中村。何よりもESSの仲間と一緒に活動しているのが楽しかった。
そして大学4年の11月。大学就職課の求人掲示板でふと気になる文字を目にする。そこには「ヒルトン」の文字。時代はおりしも世界のホテル王と呼ばれていたコンラッド・ヒルトンが東京進出に乗り出した時期である。

英語力を生かせるホテルマンを就職先に希望していた中村は、そこで一冊の本を手にする。その本は、コンラッド・ヒルトンが書いた、ビー・マイ・ゲスト。そしてその本の一説に感銘を受ける。
「ゲスト・イズ・オルウエイズ・ライト」 お客様は常に正しい。
中村は「世界のヒルトン」なら日本で成功するに違いないと予感。ヒルトンを第一志望に変更、見事に合格、入社を果たした。

1963年にヒルトンに入社した中村は、東京ヒルトンホテルで、自ら希望してベルボーイの仕事につく。
主な仕事はお客の荷物運びである。希望した理由は“チップがたくさん入りそうだから”と単純なものだった。
その後、客室係、フロント、予約係さらにアシスタントマネージャーなど、ホテル内のすべての仕事を経験していく。
東京ヒルトンでの仕事が評価された中村は、1971年にオープンしたグアムヒルトンに営業支配人として派遣される。この頃、現地で雇う従業員は皆、南国育ちでのんびりした性格の人々ばかり。中村は、営業で飛び回るかたわら、ホテル内でも自ら、ウエイターからキャッシャー、ソムリエまで、すべての仕事を率先して行なわなくてはならなかった。この体験が今日の中村の基礎を作った。

1982年には東京ヒルトンの副総支配人となる。そこでの最初の仕事は、ホテルを赤坂から新宿に移転させ、東京ヒルトンの再スタートを成功させることだった。しかし1984年に開業はしたものの苦戦が続いた。赤坂と新宿では客層が異なり、同じサービスで同じようにお客が来るとは限らなかったのだ。中村はこのとき、「ホテル経営でもっとも大事なことは、立地にあった客層のホテルを作ること」と学んだ。

1987年にはついに日本人初の総支配人に抜擢される。入社から24年、夢が叶った。総支配人に抜擢された翌年、三菱地所からロイヤルパークホテルの総支配人として誘いを受ける。中村は25年間外資系であるヒルトン一筋、しかも長年の夢だった総支配人になったばかり。迷いに迷った。

その結論は・・ロイヤルパークホテルへの移籍。『自らの手で一から本格的なホテルを作ってみたい』中村は、東京ヒルトン総支配人の肩書きを捨てる。
しかし、移籍後すぐに、大きな難問が中村の前に立ちはだかる。シンクタンクによるマーケットリサーチをみると、建設予定地は、“一室5000円代のビジネスホテル向き”という報告が上がってきていたのだ。
「ホテルは1にも2にも立地が大事」とかんがえていた中村。このまま、ホテルを作ってもいいのだろうか?悩みぬいた中村は、自らのヒルトン生活25年の経験を生かし決断する。果たして、その決断とは?!
直撃! トップの決断