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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:栗原由佳
■放送日 5月29日
 
シュガーレディ代表取締役社長 佐藤啓次郎
 
 

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 
 
今回のトップはシュガーレディ代表取締役社長 佐藤啓次郎(サトウ ケイジロウ)。

シュガーレディは、マイナス18度のコールドチェーンによる独自の流通シスムで、1100品目に及ぶ冷凍の食材や食品を全国50万世帯に宅配している業界のパイオニアである。
商品を顧客に届けるのは「シュガーレディ」と呼ばれる女性販売員。
顧客の声に耳を傾け、商品開発に生かすとともに、「食」のコンサルタントの役も果たしている。
佐藤は早くから冷凍食品の将来性に着目、1970年シュガーレディを創業した。
しかし、当時の冷凍食品のイメージは「安くて不味い」。
まさにマイナスからのスタート。
「ディナーのメインを冷凍食品で」を合言葉に「おいしい」冷凍食品の開発を続けてきた。
そして、10年以上前から「食の安全」にこだわり、合成添加物や遺伝子組み換え食材など、「疑わしきは一切使わず」を基本姿勢に急成長を遂げてきた。
小児喘息を乗り越え、アメリカンフットボールのクォーターバックとして活躍した学生時代。
資金繰りで夜も眠れなかった創業期。そして、今も心に生き続ける父の教え。
「苦しめば苦しむほどいい結果は出るものだ」と語る佐藤啓次郎の原点と決断に迫る!


1938年、佐藤啓次郎は東京都に生まれる。
父哲夫は、新潮社の創業者である佐藤義亮(サトウ ギリョウ)の四男で、新潮社の重役を務めていた。
恵まれた家庭環境ではあったが、小児喘息を患うひ弱な子供だった。
少年期、佐藤は両親に多大な影響を受けた。
父は家庭を大切にする人で、どこへ行くにも佐藤を連れて行った。
父からは様々な事を学んだ。そのひとつは「男は強くあれ」。その教えは今も心に生き続けている。
実家が有田焼の流派だった母は、旬の料理を実家の焼き物で食べさせてくれた。
この環境が食べ物への興味につながり、「食」の仕事を選ぶきっかけになったという。

中学から慶応に学んだ佐藤は、1954年高等部に進学する。
当時、普及し始めたテレビで初めてアメリカンフットボールの試合を見た佐藤は、すぐさまその魅力に取り付かれた。
「何てダイナミックなスポーツなんだろう・・・。この激しいスポーツで自分が通用するかどうか試してみたい」幼い頃のひ弱なイメージを拭えない両親は猛反対。
主治医からも反対される。しかし、決意を翻す佐藤ではなかった。
自分が「強い男」かどうか試してみたかった。そして、生来の血気盛んな青年への階段を上り始めていた。
だが、アメフト部の練習は想像以上に厳しかった。
練習後、何とか家に帰り着くと何も食べずに眠るような生活が続く。
同期の友人達は次々に辞めていった。それでも、佐藤は高校、大学と7年間頑張りぬいた。
大学時代には名クォーターバックとして名を馳せるに至る。
青年期をアメリカンフットボールに賭けることにより、果たして佐藤は何を学び取ったのか?


1970年、佐藤はシュガーレディを創業する。
神奈川県葉山の民家を社屋に、いとこの佐藤正泰(サトウ マサヤス)と二人きりの船出だった。
当時、冷凍食品に対する一般的なイメージは「安くて不味い」創業はしたものの、すぐ軌道に乗るはずもない。
そもそも、冷凍食品を売ろうにも冷凍庫を持っている家庭がほとんどなかった。
冷蔵庫はワンドアが主流で、製氷スペースがあるだけ、冷凍食品の保存は出来ないのだ。
佐藤等はまず冷凍庫を売ることから始めなければならなかった。
先端のシュガーレディを束ねてくれるマネージャーを見つけ、その自宅で冷凍食品の試食パーティを開く。
気に入ってもらえたら、冷凍庫を売り顧客になってもらう。
当時は冷凍庫の売り上げ日本一を誇る会社だったという。
しかし、売り上げは徐々に増えてはいるものの、すぐには利益と直結しない。
冷凍庫の仕入れ代金や配送車の拡充、ホームパーティの経費などで次第に資金は逼迫していった。
借金返済の電話や資金繰りの算段に、夜も眠れない日が続いた。
それでも、女性マネージャー一期生の活躍で売り上げは飛躍的に増えていく。
創業から10年以上が過ぎ、ようやく事業が軌道に乗ってきた1980年代の中頃、売り上げが停滞し始めた。
当初は他企業の参入が原因と思われたが、シュガーレディや顧客の声を聞くと皆一様に口をそろえて言った。「主婦が家に居なくなった・・・」
今まで家庭の中に居た主婦は、パートやアルバイトで外に出るようになっていたのだ。
お客である主婦が家庭に居なければ商品は売れない。
一計を案じた佐藤はここで決断を下す。
それは、新規参入者には真似の出来ない大胆な決断だった。
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