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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:栗原由佳
■放送日 5月15日
 
株式会社サイバード 代表取締役社長 堀 主知 ロバート
 
 

長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 
 
今日のトップは、株式会社サイバード 代表取締役社長 堀 主知 ロバート(ホリ・カズトモ・ロバート)。

今や8000万人を超える人々が利用する携帯電話。
その中で「モバイルインターネット」の世界を創造してきたサイバード。
占い、ゲーム、音楽など業界最多規模のコンテンツサービス、企業へのBtoBソリューションの他、今後はEコマース、広告なども手掛けていく業界のエクセレントカンパニーだ。

幼い頃から商売人の家庭に育った堀。
まだ未知の分野だった携帯でのコンテンツ事業にいち早く目をつけ、1998年にサイバードを設立。
その後、わずか2年で上場を果たす。
2002年には「TIME」誌の「世界のビジネスに影響を与えた若手15人」の一人に選ばれる。
しかし、順風満帆に見える堀も、そこにたどり着くまでには様々な苦悩と挫折があった。
学生時代から数多くの事業を手掛けるも失敗を繰り返す。
そして、インターネットとの出会い。
その中で、堀はどのようにして現在のビジネスモデルを築いて行ったのか?
この先、どのようなビジョンを抱いているのか?IT業界の一翼を担う、堀主知ロバートの経営哲学と原点に迫る!

堀主知ロバートは、1965年、アメリカのワシントンDCで生まれる。
4歳で日本に帰国。
関西の実家は老舗の有名旅館。
堀は20人以上の大家族に囲まれ、商売を営む両親の元、厳しく育てられた。
・こづかいはなし
・門限は4時
・バイトも禁止

しかし、実はそれは「人生はかくもままならない」ということを体験させるための親の教育方針だった。
1985年、関西学院大学に入学。堀は親の呪縛から逃れるかのように商売を始める。
学校に行きながら人材派遣業やイベントの企画、学生向けマーケティング調査など様々な商売に挑戦。
起業家としての堀はこのころからすでに始まっていた。

1989年、ロンドンへ留学。
マーケティングを学んでいた堀だが、ゲームソフトを作るという商売を思いつき、帰国。
「トライシスインターナショナル」を設立。
堀は、当時、ゲームソフトを制作するにあたって最高のスタッフを備え、ベストの体制をととのえた。
あと、足りないのは資金だけ。
堀は会社四季報にある企業にかたっぱしから電話をかけ出資を募る。
しかし、若い堀に耳を貸す企業はなく、結局、資金捻出ができず事業は頓挫。
堀は大きな挫折を味わうことになる。

1993年、新たに商売を始めようとしていた堀に、友人から仕事の依頼が来る。
「ネットカフェを作りたいから手伝ってくれ」そこで、堀はインターネットに出会うことになる。
それまでのコンピューターはプログラムしたことを行うだけの機械だったが、インターネットは自分の知らないことまで次々に教えてくれる。
それは、堀のそれまでのコンピューターの概念を大きく覆した。
堀は思った。
「これは世の中を変える」
堀の行動は早かった。
1994年、堀はポータルサイトの運営会社、「パラダイスウェブ」を立ち上げる。
初めて間もなく、堀たちのサイトは日本でもトップクラスのアクセス数を誇るようになる。1日10万人もの人がサイトを訪れるようになり、一見、商売はうまくいったかのようにみえた。
しかし、ここで堀は壁に突き当たる。
利用者は増えるものの、利益が一向に上がらないのだ。
そもそも堀たちのサイトは会費を取っているわけでもなく、当時インターネットに広告を出す企業もなかった。
どうすれば商売として成り立たせることが出来るのか?
悩んだすえに堀は一つの答えにたどりつき、決断をする。

果たして、堀が見つけた答え、その決断とは?
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