今回のトップは株式会社マルハグループ本社 代表取締役社長、五十嵐勇二(イガラシ ユウジ)。
マルハは1880年(明治13)、初代社長 中部幾次郎(ナカベ イクジロウ)が、家業の鮮魚仲買業を引き継ぎ、創業された。
以来、「魚」を中核とした水産、食品事業において様々な分野に進出、今や125年の伝統を誇るエクセレントカンパニーである。
五十嵐勇二は2000年(平成12)、旧日本興業銀行よりマルハに転身し、
2002年(平成14)、社長に就任した。
当時、マルハは多角化で肥大したグループをスリム化するため、負の資産整理の最終仕上げを行っていた。
五十嵐の使命はズバリ、「しがらみなき改革」。
船頭として、マルハを本業回帰へ導く五十嵐。
そのビジネス哲学は過去のある体験から培われた。
90年代、バブルの負の遺産として社会問題にまで発展した住専問題。
旧日本興業銀行の管理部長だった五十嵐は、事態の収拾に奔走する。
数兆円にものぼる莫大な不良債権、会社の基盤を揺るがしかねない社会的責任、未曾有の危機に直面した時、男は何を考え、どう行動したのか!?
名門マルハの経営改革に挑む五十嵐勇二、そのビジネスマン人生に迫る。
1996年(平成8)、五十嵐は旧日本興業銀行の管理部長に就任する。
時あたかも、世間は住専問題で大きく揺れていた。
銀行の不動産向け融資を規制した「不動産融資総量規制」のラチ外にあった住専は多額の融資を不動産業界に行っていた。
しかし、バブル崩壊で多くの不動産業者が倒産、住専は6兆円以上といわれる莫大な不良債権を抱える。
旧日本興業銀行は幾つかの住専に出資していたが、中でも設立母体であった日本ハウジングローンにはおよそ、2兆4千億円の貸し付け資産があった。
その経営難は母体である旧興銀を大きく揺るがす危機となる。
五十嵐は、住専問題の収拾に日夜奔走した。
「莫大な不良債権をどう、処理するか・・・監督責任などを追求する捜査当局にも対応しなければならない・・・」
絶体絶命の危機に、五十嵐は立たされていた。
2000年(平成12)、五十嵐は旧興銀よりマルハの専務に就任する。
当時のマルハは中核部門の水産事業が低迷し、連結売上高が年々減少していた。
原因は多角化でグループが肥大し、多くの不採算部門を抱えていた事にあった。
五十嵐には過去のしがらみにとらわれず、大規模な構造改革をおこなう推進役としての期待がかけられていた。
しかし、120年に及ぶ歴史と伝統に培われた企業風土を一新するのは、並大抵のことではない。
熟慮の末、五十嵐は時の経営陣と共にマルハの象徴ともいえる資産の整理にとりかかる。
五十嵐は訴えた。
「今、我が社に求められているのは本業への回帰です。そのためには、過去の歴史からの撤退が急務です。」
果たして、五十嵐が下した決断とは?
|