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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:栗原由佳
■放送日 3月6日
アメリカンファミリー生命保険会社 会長 松井秀文

 長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

今回のトップはアメリカンファミリー生命保険会社(アフラック)会長、松井秀文(マツイ ヒデフミ)。

1974年(昭和49)、アフラックは日本で営業を開始した。
以来、日本で初めての“がん保険”を皮切りに潜在的なニーズを的確に捉えた商品を開発。
今や「個人保険保有契約件数ナンバー1」を誇るエクセレントカンパニーである。

松井は20代の若さでアフラック日本支社の設立に参加。
時代と市場を見据える実務家としてその手腕を発揮し、アフラック急成長の礎を築いた。
傍目には順風満帆に写る松井のビジネスマン人生。
しかし、その陰には知られざる苦闘があった。

20代で2度に渡る転職。
保険業界に飛び込むきっかけとなった、ある出会い。
未曾有の金融危機とマーケットの変化に伴う売り上げの悪化。
断崖絶壁の危機に瀕した時、男は何を考え、どう行動したのか!?
松井秀文の「ナンバー1哲学」に迫る!

1944年(昭和19)、松井は東京に生まれた。
父、由次郎(ヨシジロウ)は鉄道会社に技術者として勤務。
5人の子供を抱え、決して裕福とは言えない家計であったが、一家に笑いは絶えなかった。
5人兄弟の下から2番目で育った松井は、幼い頃から、独立心旺盛な子供であったという。

教育熱心だった両親の影響もあり、松井は名門、開成中学校に進学。
中学、高校と一貫教育の同校で青春を過ごす。
1964年(昭和39)、東京大学 経済学部に入学。
1968年(昭和43)、松井は川崎製鉄株式会社に入社する。
当時、建設中だった工場に配属された松井は、行程管理の新しいシステムづくりを担当する。
しかし、一度システムが完成すると後はメンテナンス作業の繰り返し。
これが松井の性に合わなかった。

「何か、新しいことにトライする仕事がしたいな。」

1973年(昭和48)、松井は川崎製鉄を退社し、外資系損保の会社に転職する。
そこで多忙な日々を送っていたある日、松井は設立の準備を進めていた外資系生命保険の会社からある相談を受ける。

「日本で初めての『がん保険』を発売したいんです。協力していただけませんか?」

当時、日本では「がん」に特化した保険という発想はなく、まだ、大蔵省の事業免許もおりていなかった。
しかも、松井は転職したばかり。
無名の新会社にまた転職するのはリスクが大きすぎる。
しかし、松井は悩んだ末、この誘いを受ける。

「分かりました。がん保険を世の中に定着させましょう!」

この松井の不退転の決意の裏にはある出会いがあった。

1997年(平成9)、それまで順調に成長してきたアフラックは突如、激震に見舞われる。

日産生命を皮切りにそれまで倒産しないと信じ込まれてきた銀行や証券会社が次々と破綻。
生活者の間に金融不信が一気に広まった。
さらに、長引く平成不況で給与は頭打ち。
この影響でアフラックの新契約が前年と比べ、21%も落ち込んだのだ。
しかも、同じ状況にありながら同業他社はアフラックほどの落ち込みはない。

社長に就任して3年目だった松井は、日夜戦略の立て直しに躍起となった。

「何故だ?何故、同じ状況にありながら、他社と比べ我が社の新契約だけが大きく落ち込んでいるんだ?」

そして、松井は大いなる決断を下す。
それはアフラックを急成長させてきた原動力の大転換だった。

「我が社を支えてきた仕組みを根本から見直す。いつまでも過去にしがみついていたら未来はない。」

未曾有の金融不信、人々が守りに入る時代に松井は変化を選択した。

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