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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:栗原由佳
■放送日 11月28日
株式会社ゼンリン 代表取締役社長 原田康

 長期低迷にあえぐ日本経済の中でも、元気な会社がある。そういった会社にはたいてい、波乱万丈、艱難辛苦を乗り越えてきた改革精神旺盛なトップがいる。
 この番組では、「年功序列」「終身雇用」が崩壊し、かつてない競争社会に身をおく私たちにとって、最高の「教材」である企業トップの生の声を聞き、その半生から激動の時代を力強く生きぬくための方法を学ぶ。司会は近著に「ウェルチが日本を変える」「ゴーンさんの下で働きたいですか」などがある日本経済新聞社編集委員・長谷川洋三。長年の新聞記者経験を生かし、経営者に鋭く迫る。

 今回のゲストは株式会社ゼンリン 代表取締役社長 原田康(はらだやすし)。

 今や自動車に欠かすことが出来ないカーナビゲーション。日本で使われているカーナビのおよそ70%はゼンリンが誇る詳細な住宅地図のデータを使用している。
住宅地図は、一軒一軒足で回る綿密かつ地道な調査を基に作られる。現在でも年間で延べ30万人が調査にあたり、都市部では毎年一回の更新を欠かさない。住宅地図の始まりはゼンリンの創業者 大迫正冨が地元別府の観光案内を作り、大ヒットしたことに始まる。

 2代目のカリスマ経営者 大迫忍は住宅地図を全国に広げたいとの創業者の意思を受け、それを達成。更にデジタル化を推し進めた。
二代続いた創業家社長の後を受け、2001年社長に就任したのが原田である。

 29歳の時西日本相互銀行から転職。主に経理・財務畑を歩み、ゼンリンの健全経営に貢献してきた。社長就任と同時に大胆な営業改革や不採算事業の整理を断行。就任3年目にして黒字化を成し遂げた。徹底した現場主義に活路を見出すと同時に、ゼンリンの新たなる姿を模索し続けている。カリスマから経営を引き継いだ男の若き日の苦悩の決断と経営哲学に迫る!

 1950年、原田は山口県山口市に生まれる。実家は専業農家、一人っ子のため大切に育てられた。農業一筋の父は「こんな苦労は俺だけでいい」と原田に勉学の道を勧める。それに答えて真面目に勉強する優等生だった。

 県内一の進学校、山口高校から西南学院大学に入学。生真面目な原田は、大学生になっても毎日予習復習を欠かさず、最前列で講義を受けた。最高学府で学んでいるという気概もあったし、何より勉強するのが当たり前だと思っていた。おかげで1年生の時の成績はほとんどが優だった。

 しかし、そんな堅物の原田を心配したのが下宿のおばちゃんである。今のままでは社会人として通用しない。おばちゃんは、少しは社会勉強をさせようと女の子を紹介したり、友達を呼んでマージャンを覚えさせたりした。女の子はからっきしダメだったが、マージャンには実に真面目に取り組んだ。みるみる腕を上げていったが、あまりに入れ込みすぎて成績はガタ落ち。4年生になって一般教養の単位を残してしまうほどだった。

 それでも就職では堅物らしく銀行を志望。受験した西日本相互銀行(現西日本シティ銀行)は大学2年までの成績しか考査に入れない。しかし、1年生の時の優の数に助けられ見事合格した。

 銀行マンとして日々の業務に追われていた原田に、運命の出会いが待ち構えていた。
病院を担当していた原田は、当時入院していたゼンリンの創業者 大迫正冨社長と出会う。最初の印象は「変わった人だな」。それでも創業者が持っている魅力に次第に惹かれていった。

 程なく大迫から転職の誘いがある。原田は迷った。当時のゼンリンは住宅地図ではナンバーワンだが売上規模の小さな会社。このまま銀行にいれば一生安泰である。大迫は原田を山口に配属してくれると言う。久しぶりに故郷に帰って親孝行が出来る・・・。迷った末に原田は新天地を選んだ。しかし、親孝行と思い下した決断が父親の逆鱗に触れることになるとは、その時の原田には知る由もなかった。

 1980年2月原田はゼンリンに転職したが、そのわずか3ヵ月後、原田をゼンリンに誘った創業者の大迫正冨社長が亡くなる。跡を継いだのは、息子の忍である。

 住宅地図を全国に広げるという父の夢を背負い最前線で地図作りの陣頭指揮を取ってきた人物である。35歳の若さだが、カリスマ経営者としての素養を兼ね備え、後に九州経済界の重鎮として影響力を強めていく。原田は銀行マンの経歴を買われ、主に経理・財務の面から大迫忍を支えていく。

 1988年、世の中はバブル経済の真只中。ゼンリンも不動産、株式をはじめとする財テクに走っていた。不採算のグループ企業の赤字も嵩み、売り上げおよそ100億円のところ有利子負債が200億円と財務が悪化していた。大迫社長は株式上場を目標の一つに掲げていたが、有利子負債をこのままにしておけば、株式上場はおろか会社自体が危うい。

 そこで原田は決断する。それは辞職覚悟、背水の陣の決断だった!

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