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今回のゲストは東陶機器株式会社 代表取締役社長 木瀬照雄(きせ てるお)。
トイレ、お風呂、洗面化粧台、キッチンなど水回り製品を扱うリーディングカンパニーTOTO。そのルーツは今から約100年前、日本陶器合名会社、現在のノリタケカンパニーリミテドの設立に遡る。ヨーロッパ並みの精巧な陶器を作り、日本を豊かにするために作られた。その後、衛生陶器の製造研究を始め、1917年、独立する形で東洋陶器が設立された。初代社長から二代目社長に送られた書簡がある。
「どうしても親切が第一・・・」
先人の言葉を胸に、常にユーザーの身になり画期的な製品開発を行っていく。1980年、トイレ文化の革命的製品「ウォシュレット」を世に送り出し、「シャンプードレッサー」では「朝シャン」文化を創造。現在、お風呂に手軽にエステを持ち込む「発汗生活」を提案し話題を集めている。しかしその裏には、早くからリフォーム重視を掲げ、丹念に需要を開拓していく、ユーザー密着のきめ細かい営業努力があった。
この営業の素地を作ったのが2003年、社長に就任した木瀬である。技術系社長が3代続いたTOTOにおいて、異色の営業生え抜き。部下と焼酎を酌み交わし「変わらずにじっとしているくらいなら、失敗しても良いからやれ!」と最前線で檄を飛ばす木瀬の、若き日の決断と原点に迫る!
1947年木瀬は福岡県北九州市に生まれる。幼稚園時代から大相撲式秀親方、元小結大潮関と親友で、やんちゃ坊主の木瀬は中学の時、式秀親方に相撲で勝った事もあった。高校は名門、鹿児島ラサール。全寮制の男子校で、仲間と寝食を共にした。夜、こっそり抜け出してプールや海で泳いだりした。この体験は木瀬に「人と人の繋がり」「仲間の大切さ」を教えてくれた。
京都大学教育学部に入学が決まった木瀬は写真部に所属。と言うのは、入学前にお世話になった人に写真部の先輩がいて、誘われたのだ。早速写真部に入った木瀬は入学式の時は新入生の勧誘をしていた。「京大に通っていたと言うより写真部に通っていた」、らしい・・・。木瀬のもう一つの顔は大の酒好き。この頃酒にまつわる武勇伝がある。写真部の飲み会で15キロの氷の塊にウイスキーを注ぎ回し飲みした。したたか酔った。部下を引き連れよく飲みに行く。木瀬の飲みニケーションの原点はこの頃にあった。
1970年、出身地の北九州市に本社があるTOTOに入社。トップへの階段を上り始める。
1970年、TOTOに入社した木瀬は営業事業本部に配属される。売上計画の取りまとめを行う部署で、大括りの会社経営の実態を学んだ。その後、東京支社の販売第2課に転属。大手住宅メーカーへの営業である。しかし、木瀬にはある思いが募っていく。
「お客様の声を聞きたい」
「業者ではなくエンドユーザーに近いところで営業してみたい」
そんな木瀬に、千葉県柏出張所への異動命令が下る。翌年には「ウォシュレット」が発売され、営業力が試されることになる。今でこそ一般に普及しているが当時は海の物とも山の物とも分からない。そもそもお尻を洗うというのは、今までの拭くのとは文化が違うのだ。宣伝活動でお尻を扱うこと自体タブーな世の中で、どうやって「ウォシュレット」という商品をお客様にご理解いただければ良いのか?全く新しいコンセプト商品を前に木瀬は悩んだ。ここで、新たな需要を掘りおこすために、木瀬は次々に手を打っていく。まずは、水道工事店と共同での展示会開催やチラシの配布などで、商品の認知度を高める努力をした。そしてターゲットを新築からリフォームに絞る。新築戸数が伸びている時期だったが、ウォシュレットについては、今あるものをより使いやすく良いものに換えるリフォームの方に可能性があると考えたのだ。
そんなある日、水道工事店を訪れた木瀬に対し、社長の奥様からこんな提案があった。
「会社事務所に併設したショールームを作りたいの」
木瀬はこの提案に乗った。ショールームが出来れば、お客様と直接触れ合う場が出来る。社内を調整し、知り合いの設計施工会社に全面協力を依頼した。画してショールームは出来上がった。ショールーム機能を備えた水道工事店は、それまでになかった通勤客など通りすがりのお客様が立ち寄るケースが増え、当然お店は繁盛した。
「ショールームを活用して直接お客様にTOTO商品に触れていただく」
ということの重要性を強く意識させられ、後の‘ショールーム’戦略のトリガーとなるエピソードであった。
ウォシュレットの販売をさらに強化するためにはどうしたら良いのか?木瀬はここで決断を下す。木瀬が下した決断とは!?
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