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今回のトップは、モリテックス代表取締役会長 森戸 祐幸(もりと・ゆうこう)。モリテックスは、光ファイバー照明技術をベースに、光通信、画像機器、コスメティック、新素材、ナノテクノロジー、バイオサイエンス、テクノアートまで、幅広い事業領域を持つ最先端ハイテク・グローバル・カンパニーである。モリテックスの創業は1973年。森戸祐幸32歳、友人から集めた280万円を資本金に、事務所は渋谷の1DK、従業員3人からのスタートだった。1997年には株式を店頭公開。2000年には東証1部に上場を果たした。総合商社の丸紅勤務時代、いち早く光ファイバーの可能性を確信、以来その実用化に夢を賭け、光とともに歩んできた。ハイテクベンチャーの雄と持て囃されながらも、それは苦難の連続、まさにいばらの道であった。「好奇心」「チャレンジ心」「忍耐」を持ってベンチャーに挑め! と語る「ミスター光ファイバー」森戸祐幸の波乱万丈の人生と経営哲学に迫る!
森戸祐幸は1930年、栃木県矢板市に生まれる。男ばかりの6人兄弟の5番目。生家は代々造り酒屋を営む裕福な家で、なに不自由なく育った。森戸家は代々長男が家を継ぐべく教育を受ける。五男の森戸は自由闊達、野山を駆け回り、ビー球やメンコ、魚釣りに熱中した。中学二年の時、そんな森戸を突然の悲しみが襲う。屈強で尊敬していた父が急死したのだ。「いままでいた人が突然いなくなる−はじめて死と直面し、受け入れがたいショックと世の無常を感じた」 「なぜ父は死んだのか?−死とはなにか?」その問いかけは、違う形で森戸に一つの答えを与える。「医者になろう!医者になって皆のために病気を治したい」当時読んだ『シュバイツァー』の伝記も森戸の決意を後おしした。自由闊達なガキ大将はそれから勉強の虫になった。中学、高校ともにトップクラスの成績で卒業。念願の東北大医学部を受験する。しかし、その壁は厚かった。一年浪人して挑んだが再度失敗。森戸は東京理科大学への入学を選んだ。理科大に通いながら国立大医学部への編入を目論んだのだ。しかし、森戸には大きな誤算があった。勉強の虫は、青春そして大学生活の楽しさを知らなかったのである。理科大は薬学部があり、女学生も多く華やかだった。いつしか医学部編入を忘れ、野球部やヨット部に所属、大学生活を謳歌した。大学四年の就職では「海外に行ける仕事がしたい」と大手商社の丸紅飯田(現丸紅)を受験。面接試験で合格を言い渡され、その場でサインした。画して、森戸祐幸は社会人としての第一歩を踏み出した。
1964年、丸紅飯田(現丸紅)に入社した森戸は、技術企画室に配属される。そこで、森戸は自らの人生を変えることになる、ある商品と出会う。「光ファイバー」である。当時はその名前すら知られていない。光がガラスの細い棒を通過する。この商品に計り知れない可能性を感じ取った森戸は調査のために単身渡米する。アメリカで「光ファイバー」の将来性を確信した森戸は、帰国後大手繊維メーカーと研究開発を始めた。しかし、丸紅も繊維メーカーも消極的で、事業化はなかなか進まない。しかも、上司からは連夜のマージャンの誘い。疲労がたまっていった。ついに森戸は退社を決意、上司の引き止めにも耳を貸さなかった。丸紅退社後、二つの会社に勤務するが、うまくいかない。森戸は人に使われるのが苦手なのだ。それを悟った1973年、「光ファイバー」の事業化を目指し大学時代の友人から20万円ずつ集めた280万円を資本金にモリテックスを創立。事務所は渋谷の1DK、従業員3人の船出だった。だが、会社を設立したのは良いが、光ファイバーがすぐに商売になるはずもない。従業員に給料を払い、会社を存続させるために、森戸は何でもやった。それらの仕事により、会社は存続できたが、森戸の心は晴れなかった。次第にストレスと焦燥感が募っていく。「いつまでこんな仕事をやっているんだ。光ファイバー、ハイテクで商売をするんじゃなかったのか・・・」やがて、モリテックスに転機が訪れる。1977年、森戸が発明した、液晶にバックからライトを当てるシステム、ライトガイドプレートが脚光を浴び、量産体制に入ったのだ。世界の名だたる企業と取引が始まり、ライトガイドプレートは売れに売れた。この成功で遂に光ファイバー関連事業に打って出る資金をえた。翌年「光ファイバー」関連機器を製造するフランスのフォート社と合弁でフォート・ジャパンを設立。光通信機器の輸入を手掛けるとともに技術導入を図り国内での生産にも着手した。ところが、業績も順調に伸びていた矢先、思わぬ事態が森戸を襲う。光ファイバーを製造しているメーカーから納入のストップが掛かったのだ。メーカーは自社でも関連機器の製造を始めており、モリテックスと顧客がバッティングしていたのだ。核となる光ファイバーが入手できなければ関連機器も作れない。窮地に立たされた森戸は決断する。それは、森戸の全財産を投げ打つ、まさに命を賭けた決断だった。
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