トップにもどる
■バックナンバー
 下記から選択してください
直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:栗原由佳
■放送日 10月3日
東日本旅客鉄道株式会社 代表取締役社長 大塚 陸毅

 今回のトップは東日本旅客鉄道株式会社 代表取締役社長 大塚 陸毅(おおつか むつたけ)。 1872年、日本で初めての鉄道が開通。その後、国民の足、日本の動脈として欠かすことの出来ない存在となり、日本の発展を支え続けてきた国鉄。1980年代、赤字続きの国鉄を再生するために民営化議論が噴出。そして1987年、国鉄は115年の歴史を閉じ、7つに分割され民間会社へと生まれ変わった。その中で関東と東北を事業領域に持ち、JRグループ最大の民間会社として誕生したのがJR東日本である。 民営化は果たしたものの、多くの株式は政府が保有し、JR会社法という規制の中でまだまだ民間会社としての自由度は低かった。その後、段階的に政府保有株が放出され、完全民営化を目指す中、2000年、JR東日本3代目の社長に就任したのが大塚である。JR会社法の改正、全株式の民間への売却などで2002年には完全民営化を達成し、法律の規制からも解き放たれ、JR東日本は完全な民間会社として自己責任の経営に乗り出すこととなった。 競争と協調を信念に、完全民営化したJR東日本を牽引する男の経営哲学と人生に迫る!

 1943年、大塚は中国、北京で生まれる。父は旧満州鉄道の職員として北京に出向していた。終戦後、家族と共に日本に引き上げ、埼玉県に落ち着いた。1961年、東京大学法学部に進学。海外で働くことを夢見ていた大塚は、商社への就職を志望していた。しかし、就職活動をしていた大学4年生の時、東海道新幹線が開通。これにすっかり魅了された大塚は「これからは高速鉄道の時代だ。それになんだか男臭そうな仕事じゃないか」と、国鉄へ志望を変更。その後JR東日本へと続く波乱の人生への幕開けであった。

 1965年、国鉄に入社した大塚は、33歳の時、経理局主計1課総括補佐に就任。大塚の仕事は国鉄全体の予算を作ることだった。そのころの国鉄は赤字続きの苦しい経営が続いていた。何度も再建計画を立てたが、理想を絵に描いたような実現不可能と思われる計画が多く、次々と計画は挫折していた。国鉄は、世間から厳しい目を向けられ、避難の嵐にさらされていた。予算策定に関わっていた大塚は、予算の建て方に大きな疑問を感じていた。当時の国鉄では、国からの予算枠を取るために、まず支出を計上し、その支出を元に実際よりも高い伸び率で収益を予想し、予算計画を作成していた。これでは、収益が予想通りに伸びなければ赤字になるのは当然だった。先輩にもこれが国鉄のやり方だと教わり、その伝統を押しつけられた。大塚は理想と現実のギャップに呻吟した。こんなことをやっていて何になるんだ。これじゃ国鉄の再建もおぼつかないじゃないか。ここで大塚は決断する。国鉄再建のために大塚が下した決断とは!?

直撃! トップの決断