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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:津島亜由子
■放送日 7月25日
宋 文洲  ソフトブレーン株式会社 代表取締役会長
今日のトップはソフトブレーン株式会社 代表取締役会長宋 文洲(そう ぶんしゅう)。
「営業は強大な無駄の穴場」、「営業は『営業』していない」、「日本企業は営業力が弱い」痛烈な言葉で日本の営業のあり方を批判するのが、ソフトブレーン会長の宋文洲である。

1992年、28歳でソフトブレーンを設立。8年後の2000年には二十歳を過ぎて来日した外国人としては初めての上場。創立記念日でもある今年6月17日には東証第2部への上場を果たした。営業など、ホワイトカラーの業務効率化を推し進めるシステム「eセールスマネージャー」を引っさげ、日本企業の改革を叫び続けている。
1963年、宋は中国山東省で生まれた。文化大革命で迫害され流浪の生活を送る日々。天安門事件での帰国延期。就職3カ月目での倒産。数々の困難を乗り越え、日本と日本人を愛するが故にあえて苦言を呈し続ける男の人生と決断に迫る!

1963年、宋は中国の山東省で生まれた。父親は上海で事業を営んでいたが、折からの文化大革命の嵐が吹き荒れる中、「資本家」、「反革命分子」と見なされ迫害を受けることとなる。一家は広大な中国大陸を逃げ回り、物乞いまでしなければ生き延びられないという惨状に陥った。そんな生活が10年も続いた。

しかし1976年、状況は一変する。改革開放路線のとう小平らの復権で文化大革命が終結。過去とは関係なく試験に受かれば大学に入れるという体制になった。宋一家は山東省に復帰し、宋は猛勉強の末16歳で見事中国の東北大学に入学。1985年には国費留学で北海道大学に入学。大学院に進み、土木工学を学んだ。

「帰国して学んだことを存分に活かそう。これで祖国に恩返しが出来る。」宋は希望に燃えていた。しかし、卒業を目前にした1989年6月、中国で天安門事件が勃発。またあの迫害を受けた時代に逆戻りしてしまうのではないか。宋は帰国を見合わせ、札幌市内の会社に就職した。しかし、その会社は3カ月もしないうちに不渡りを出して倒産してしまう。

途方に暮れた宋は、大学院時代に作った土木工事の解析用ソフトを売ってみようと考える。これが当たった。本格的に事業にするため、ソフトブレーンという会社を立ち上げた。事業家、宋文洲、破竹の急成長劇の幕開けだった。

1992年に宋が立ち上げたソフトブレーンのソフトは売れに売れた。それまではスーパーコンピューターで1週間程かかった計算を現場のパソコンで数時間でやってのけ、なおかつ大幅なコストダウンも実現するソフト。その上導入費用も従来の10分の1という夢のようなソフトに各社から問い合わせが殺到した。このソフトを売るために様々な日本企業と接した宋はふと思った。「日本の製造工程は素晴らしく効率的で、品質管理もしっかりしている。なのに営業などは恐ろしく非効率的なことをやっているのではないだろうか?」誰も読まない営業日報。同じ客へのダブり営業。個人プレーに頼った営業。宋はこれらを改善し営業の効率化を推し進める「eセールスマネージャー」というシステムを開発。このシステムも注目を集め急激に売り上げが伸びていった。

2000年には全社の売り上げの4割を占める柱に成長し、ソフトブレーンは上場を果たす。しかし、土木解析ソフトと業務支援システム、この2本柱の体制に宋は不安を覚えていた。「土木ソフトの方は一通りの会社に行き渡れば頭打ちになるのは目に見えている。このままこの2つの事業を推し進めていていいのだろうか?」ここで宋は一つの決断を下す。この決断に従業員、株主、全てから反対の声が挙がった。反対を押し切って宋が下した決断とは!?

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