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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:津島亜由子
■放送日 5月 9日
鈴木 邦雄  株式会社商船三井 代表取締役社長

今回のトップは商船三井の鈴木 邦雄(すずき くにお)社長。

明治17年に発足した大阪商船。ここを母体に120年の歴史を持ち、日本の海運業をリードしてきたのが商船三井。コンテナ船、不定期専用船、燃料を運ぶ油送船などあらゆる種類の船で海上輸送を手がけ、世界一の規模を誇る油送船部門に代表される、世界最大級のエクセレントカンパニーである。

90年代、不況のあおりを受け海運業も深刻な状態に陥った。財務体質の強化、コスト削減など生き残りのための再構築に明け暮れる日々を余儀なくされた。そして、2000年、「成長と拡大」をスローガンに掲げ、油送船部門から初めて社長に就任したのが鈴木である。オイルショックで燃料調達に駆け回る日々。「拡大」を目指し奮闘する日々。副社長として会社合併の実行部隊となり難しい折衝を続ける毎日。自らをアウトゴーイングと評し、ハイリスクハイリターンだから仕事は面白いと語る鈴木の熱き経営哲学と決断に迫る!

1939年、鈴木は東京下谷で生まれた。やんちゃな下町っ子でいつもガキ大将だった。新聞記者になりたかった鈴木は、1958年、早稲田大学政経学部に入学。大学に通ううちに「海外に行ける仕事がしたい」という思いが強くなっていった。その夢を叶えるために、1962年、海運会社の花形、大阪商船に入社。営業部に配属になった。やがてトップにまで登りつめる鈴木のビジネスマン人生の始まりだった。 

若き日の鈴木は大きな失敗も経験している。鈴木が油送船部に異動した当時の油送船部は売り上げが全社のわずか2%という部署だった。ここで鈴木は、「博陽丸」というタンカーとの契約を取り付ける。理由は、輸送契約料が安かったからだった。様々な計算をした挙げ句、「絶対に儲かる」という信念を持って上司から取締役会まで全てを説得し、契約に漕ぎつけた。しかし、原油価格の下落などの要因でその後およそ10億円もの赤字を計上してしまう。会社の承認を得ての契約だったが、この数字は当時、売上高が約50億円程だった商船三井にとって小さくない数字だった。

1979年、鈴木は船を動かす燃料を確保するためにサウジアラビアとの合弁で作った会社へ派遣された。折しも、第2次オイルショックで世界中が騒然となった年だった。海運各社が、船の燃料確保に四苦八苦する中、鈴木は大車輪の働きを見せた。わずか5人のプロジェクトチームで自社の燃料確保にとどまらず、他社へも売るほどの活躍ぶりで、当初は2隻しか無かった燃料補給船を最終的には5倍の10隻に増やすという成功を納めた。その後の鈴木の「拡大」路線への礎を築いた成功だった。

サウジアラビアでの燃料供給で頭角を現した鈴木は1988年、油送船部長に就任。「拡大」路線に打って出る。当時一隻しか無かったある石油会社との輸送契約を拡大しようと思ったのだ。10年20年の長期契約が普通であるこの業界は、客との関係も密接で同業他社から契約を奪い取るのは並大抵のことではなかった。鈴木は何度もお客様の所へ通い、真っ向から誠心誠意ぶつかっていった。そのうち、鈴木の誠意を認めてくれた客がこう言ってくれた。「あんた何回断ってもよう来るなぁ。しかも次から次へと新しいアイディアを持ってくる」鈴木は、その会社との契約を1隻から4隻へ拡大することに成功した。

こうして、課長時代は13隻だった油送船の船隊規模は、部長時代には30隻にまで拡大した。次々と業務「拡大」を成功させた鈴木は、1991年、取締役に昇進したころ会社に対して更なる拡大計画の提案を決断する。それは一見無謀な冒険とも思える提案だった。鈴木が提案した前代未聞の計画とは一体何だったのか!?

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