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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:津島亜由子
■放送日 2月29日
河原 春郎  株式会社ケンウッド 代表取締役社長兼CEO

今回のトップはケンウッド代代表取締役社長兼CEOの河原 春郎(かわはら はるお)氏。
ケンウッドは音響・通信機器メーカーとして幅広い層に支持されている。高い技術力と確かな伝統でホームオーディオ、カーエレクトロニクス分野などで圧倒的なブランド力を誇るオーディオ業界の名門だ。しかし、近年は強いブランドへの依存が利益率の低迷を招き、2002年までに3年連続で赤字を計上する経営危機に直面。ところが、2003年に一転して42億円の黒字転換を果たした。

この驚異のV字回復を成し遂げたのが、現社長、河原春郎である。2002年に就任した河原は前例なきスピードでコスト削減を敢行、同時に技術力を軸とした中核事業回帰で名門の建て直しを図ったのだ。「成熟産業の再生こそ日本経済復活の鍵。」そう、語る河原の経営理念は過去の熾烈な経験から培われた。

世界初のコンピューターシステムの開発に挑戦した若き日の苦悩。合弁会社経営で直面したグローバルマネジメントの壁。困難に直面した時、男は何を考え、どう行動したのか?「技術者の頭脳」と「経営者のマインド」を併せ持つ河原春郎の決断に迫る!

1961年、河原は東芝に入社し、コンピューター開発に携わる。目標は100万キロワット級の発電所の自動運転。当時、人の手で運転されていた発電所をコンピューターシステムで制御しようというのだ。開発に成功すれば世界のエネルギー事情が飛躍的に進歩する。若き河原の胸は躍った。

「新たなテクノロジーで、世界初の技術を生み出す。これこそチャレンジだ。」昼夜を問わず、研究に没頭する河原。しかし、当時の日本の伝統的な研究方法は前例を真似し、改良を加える事で技術を進歩させるのが常識であった。これでは前例のないコンピューターの開発は不可能に近い。「新技術開発は絶対の義務。走りながら作っていく。これが研究者の使命だ。しかし、無から有を生み出すにはどうすればよいのか・・・」河原の暗中模索の日々は数年にも及んだ。

1967年、河原はアメリカ・サンノゼの発電所プラントに駐在する。ここでアメリカ人技術者と共同で研究にあたった河原は、彼らの発想と方法論に大きな驚きを覚える。「なるほど、研究開発とはこういうことか。」大いに触発された河原は翌1968年、遂にコンピューターによる発電所の全自動システムの開発に成功する。この世界初の快挙を成し遂げた河原の「アメリカ体験」とは、一体、どのようなものだったのであろうか?

1984年、東芝で営業技術部長を務めていた河原は、ある日、経営トップから突然の呼び出しを受ける。「アメリカの合弁会社のCEOを務めてくれ。」当時、宇宙船にのみ使われていた燃料電池を一般に使用できる発電システムとして開発し直し、21世紀の新エネルギーとする。

その目的で東芝はアメリカに合弁会社を発足させることとなったが、運営方針を巡り、1年に渡って合弁相手ともめていた。そこでエネルギーシステムの権威、河原に任が下ったのである。しかし、技術畑を歩んできた河原にとって、会社経営は初めての仕事。河原は自問自答した。「確かにリスキーな任務だ。誰も引き受け手がおらず、私に話が回ってきたのだろう。皆が嫌う仕事・・・だからこそ、飛び込んでみるか。」その年、河原は、アメリカに赴任し合弁会社のCEOに就任する。

過去にアメリカ人技術者と共同研究で大きな成果を挙げていた河原は、経営も共同で当たる事で成功に導けると考えていた。しかし、その考えは間違いであることを河原は最初の合同会議で知る事となる。黙って、会議の進行を聞いていた一人の日本人経営者を指差し、アメリカ人経営者がこう、発言したのだ。「Flying on the wall」・・・「壁の上のハエ。」

ドッと笑うアメリカサイド。意味が分からず戸惑う日本人サイド。それは、「会議に出席するだけで発言しない者。」という意味のスラングであった。はなから日本サイドを敵視し、コミュニケーションすら取ろうとしないアメリカサイドの姿勢に河原は合弁会社経営の困難さを実感する。「このままでは、21世紀の新エネルギー開発どころではない。一体、どうすればいいんだ・・・」そして、河原は決断する。果たして、河原が下した決断とは!?

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