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直撃! トップの決断 バックナンバー 司会:長谷川洋三 アシスタント:津島亜由子
■放送日 1月18日
島田 精一  日本ユニシス 代表取締役社長

今回のトップは日本ユニシス株式会社の島田 精一(しまだ せいいち)社長。
日本ユニシスは大型汎用コンピューターからソフト・システム開発・保守点検までのソリューション事業を手掛け、顧客数は約7,300社。日本のIT産業界有数のエクセレントカンパニーである。しかし、近年はIT不況の中、ハード依存のビジネス構造から抜けだせず、業績は伸び悩んでいた。

2001年6月、島田は三井物産株式会社 代表取締役副社長から現職に転じ、改革に挑む。三井物産時代は初代最高情報責任者・CIOとして社内情報化の基盤を作り上げた。マイクロソフトのビル・ゲイツ会長やAOLタイムワーナーのスティーブ・ケース会長など、世界のIT業界に人脈を持ち、経済界IT導入の提唱者として名を馳せている。かつてゲーテの『イタリア紀行』に感銘をうけ、海外での活躍を夢見た文学青年は、商社マンとしてその海外で天国と地獄を味わい、そしてITと出会った。イタリアとオペラと書物をこよなく愛し、IT革命の伝道師となった男の波乱万丈の生きざまとビジネス哲学に迫る。

1937年、島田は東京・日本橋に生まれた。中学・高校生時代はバレー部で活躍する一方、文学にも傾倒した。ゲーテの『イタリア紀行』に感銘を受けナポリに憧れたという。1961年、東京大学法学部を卒業すると、海外での仕事をするために、総合商社 三井物産株式会社に入社。1863年には修業生として、念願のイタリア留学を果たす。このイタリアでの体験が島田の人生観を変えた。『働く時は集中して働き、楽しむ時は何もかも忘れて陽気に楽しむ』人生を謳歌する生き方にカルチャーショックを受けた。しかしその後、一転、地獄が待ち受けていた。

1985年、メキシコ三井物産副社長だった島田は、契約上のビジネストラブルに巻き込まれ、拘置所暮らしを余儀なくされる。メキシコの拘置所はノミ、シラミが這い回り、肝炎が蔓延し、日常的に殺人が起きる劣悪なもの。島田は死を覚悟した。『拘置所の 鉄格子寒く 床に寝て 行く末思う 次男の誕生日』島田は精神の支えとして1000首の歌を読む。

そして300冊の本を読破し、毎日水と食事を差し入れる妻に支えられて、この危機を乗り切った。拘留は実に195日に及んだ。くしくも島田は海外赴任で天国と地獄を見たのである。またしてもきっかけは留学だった。

メキシコから帰国した島田は、1986年ハーバード大学上級経営学プログラム・AMPコースに入学。マクファーレン教授の『情報を制するものは、企業を制す』という言葉に感銘をうけ、ITに目覚める。1990年、三井物産の情報産業部門は、数十億の赤字をだし、お荷物といわれていた。当然社内にも潰すべきだという議論が沸き起こっていた。これに猛反発したのが島田である。

「不採算部門をこのままにはしておけない」 「たしかに今のままではダメだ。だがITによる産業革命はすでに始まっている。企業が競争力を高めるには『情報の産業化』『産業の情報化』は不可欠だ。将来のことを考えれば、今、情報産業部門を潰すべきではない」 「そこまでいうなら、君がやれるのか」 果たして、島田の下した決断とは?

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