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2015.10.25
芭蕉が魅せられた山寺 ~山形 立石寺~

今回ご案内するのは、断崖絶壁の上に建お堂の光景で知られる山寺「宝珠山(ほうじゅさん) 立石寺」。
「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」という松尾芭蕉の名句の舞台となった名刹。鎮座するのは、山形県山形市の北部。蔵王国定公園の一部に指定され、境内には豊かな自然が残る。
そんな立石寺は、日本三霊山の一つ、比叡山延暦寺と深いゆかりがあるという。その歴史を今に伝えるのが、美しい灯と、断崖に建つお堂。

  • 境内
  • 芭蕉像

境内はおよそ33万坪。その中に大小30余りの堂塔が残されている。登山口から階段が始まるが、全部で千段以上あるという。まさに修行の寺。
宝珠山立石寺、通称「山寺」天台宗の寺院。西暦860年、慈覚大師円仁によって、比叡山の別院として創建された。根本中堂は立石寺という御山全体の寺院の本堂に当たる御堂で、南北朝時代に初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)が再建。堂内では、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りする。

  • 奥の院

不滅の法灯は天台宗の開祖である伝教大師最澄が比叡山に灯した灯を、立石寺に創建した慈覚大師が分灯したもの。
美しき日本百景「垂水遺跡」根本中堂がある登り口から東へ行った千手院集落の北側、裏山に見られる中世の遺跡群。「もう一つの山寺」、「元山寺」と称される奇岩巨岩の世界。異様な雰囲気に包まれている。開祖・慈覚大師が立石寺を開山する前に修行した宿跡で、古の僧侶たちが修験した場。「不滅の法灯」と共に、比叡山延暦寺との深いゆかりを示すもうひとつのものだという、根本中堂の奥には、平安時代前期の第56代・清和天皇の供養塔。清和天皇は、天台宗の開祖である最澄に、伝教大師の諡号を贈る等、比叡山に縁が深かったといわれる。

  • 根本中堂
  • 仁王門

「姥堂」この堂の本尊は奪衣婆(だつえば)。この場所から下は地獄、上が極楽という浄土口で、新しい着物に着替えて極楽に登り、 古い衣服はお堂の奪衣婆に奉納するためのお堂。
「四寸道」はお山の自然にそってつくられた参道。昔からの修行者の道で、一番せまいところはおよそ14センチであることから「四寸(よんすん)道(みち)」と呼ばれる。木々に覆われた情緒深い参道。「弥陀(みだ)洞(ほら)」は長い歳月の雨風が岩をけずって造りだした、阿弥陀如来の姿が浮かび上がるという巨岩。仏のお姿が見える人には、幸福がおとずれるという。
江戸時代に奥の細道の紀行で訪れた俳聖・松尾芭蕉。最初は訪れる予定はなかったが、人から山寺の話を聞き、急遽訪れた。夕刻で、既に参拝者や僧侶もおらず、しずまり返った境内。セミの声だけが響く。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」。こうして奥の細道の中でも傑作と名高い名句が生まれた。

  • せみ塚

美しき日本百景「開山堂・納経堂」断崖絶壁の上に建つお堂。立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されている。岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物。その真下に、864年に入滅した慈覚大師が眠る入定窟(にゅうじょうくつ)がある。これこそが比叡山延暦寺との深いゆかりを示す遺構。伝承によると、慈覚大師が比叡山で没すると遺骸は立石寺に運ばれ、入定窟に葬られたと伝えられる。比叡山側の伝承には、大師の胴体は比叡山に、首は立石寺に葬られたと残る。ここは、境内で最も清浄な場所だったのだ。

  • 五大堂
  • 五大堂

また、昭和23年に行われた発掘調査では、大師のものとみられる頭部の木像が発見され、国の重要文化財に指定された。大師が眠る墓所だから、町や山々を見渡す絶景の名所に造られたのかもしれない。