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2015.07.05
“西の京都”路地めぐり ~山口・萩~

今回ご案内するのは、「西の京都」と称される古都、山口・萩市。趣深い街並みが広がる、歴史に彩られた美しい町。江戸時代に長州三十六万石の城下町として栄えた萩は、碁盤目状に区画され、武家屋敷をはじめとした美しい街並みや、幕末の志士ゆかりの名所が点在する。“西の京都”と称される風情ある町。そんな萩の町を代表する美しい街並みをご案内しましょう。

  • 萩市街俯瞰

西暦1604年、関ヶ原の合戦の後、毛利元就の孫・輝元が防長二州36万石の居城として 築城した「萩城」。平成16年に「萩開府400年」を記念して復元された門「北の総門」。 そんな萩城の外堀から外側に城下町はある。町筋は碁盤目状に区画され、武家屋敷が軒を連ねていた。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめている。

  • 伊勢屋横町

黒板塀と白壁がつづく風情ある道「江戸屋横町」。通りには、蘭方医・青木周弼の旧宅、高杉晋作や伊藤博文が幼少期遊び場にしていたという円政寺などがある。「木戸孝允の旧宅」は西郷隆盛、大久保利通と並び「維新の三傑」と詠われた木戸孝允こと、桂小五郎の生家。

  • 江戸屋横町

「松下村塾」は幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた。「菊屋横丁」は全長250メートル、国の史跡、日本の道百選に選ばれる名所。美しい白壁となまこ壁がつづく。通り沿いには、第26代総理大臣・田中義一の誕生地、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地がある。

  • 菊屋横町

市街から離れた日本海川沿いに「浜崎伝統的建造物群保存地区」という美しい街並みが残る。伝統的建造物に特定された町屋や土蔵が138棟もある。「堀内地区重要伝統的建造物群保存地区」は旧萩城三の丸にあたり、毛利輝元が萩城を築城した際に造られ、藩の役所と、毛利一門をはじめとする武家屋敷が建ち並んでいた。

この堀内地区と同じ、独特の造りをした土塀は、平安古地区にもある。「平安古(ひやこ)地区伝統的建造物群保存地区」の土塀は、「鍵曲(かいまがり)」という鍵の手に曲がる造りで、数多くの武士が屋敷地を構えた場所だった。毛利輝元が行った地割りをほぼ残し、当時の屋敷構えをうかがうことができる街並み。いったいなぜこんなに複雑な通りが出来たのか。それは戦いの際、見通しを悪くして防御しやすくするため。関ヶ原の戦いで石田三成らにそそのかされて西軍の総大将となったことを徳川家康に咎められ、家督は失わずに済んだものの、120万石から36万石に大きく減封された。輝元は恨み、萩の城と町を強固に造り上げたのだった。また、この毛利家の恨みが、倒幕への思想を生み、明治維新の立役者となる志士たちを育てたともいわれている

  • 堀内鍵曲

“西の京都”と称される美しい街並みには、“西国の雄”と恐れられた毛利家とこの地の歴史ドラマが隠されていた。

  • 赤間関街道雲雀峠越
  • 藍場川