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2015.04.26
日本仏教の聖地 世界遺産・高野山

今回ご案内するのは、2015年で開創1200年を迎えた高野山。弘法大師が密教修行道場として開いた聖地で、青森の恐山、滋賀の比叡山と共に日本三霊場のひとつとされる。 そんな高野山には、壮大な大伽藍があり、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

高野山とは、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代、 西暦819年頃、弘法大師空海が修行の場として開山。高野山真言宗の総本山であり、 滋賀の比叡山と並ぶ、日本仏教における聖地である。「壇場伽藍」「金剛峯寺」「奥之院」を中心に宗教都市を形成。国内外から参拝者が訪れる。 「一山(いっさん)境内地」と称する高野山は、山全体が境内地であり、寺なのである

  • 高野山・金堂外観
  • 高野山・金剛峯寺外観

高野山にそびえる数々の秀麗な仏塔。「大塔(だいとう)」
高野山を開創した弘法大師、第2世である真(しんぜん)然(ねん)大徳(だいとく)と二代を費やして1200年前に完成したと伝わる仏塔。弘法大師はこの塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立したという由縁から、根本(こんぽん)大塔(だいとう)とも称される。さらに美しいのが、塔の中。本尊の胎蔵大日如来を、金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には大正・昭和期に活躍した画家・堂本(どうもと)印象(いんしょう)の筆による十六(じゅうろく)大菩薩(だいぼさつ)。四隅の壁には密教を伝えた八(はっ)祖(そ)像が描かれている。堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されている。

  • 高野山・大塔外観

「西塔(さいとう)」
伽藍の西北隅に位置する西塔は、朱塗の大塔に対して、白木のままで華やかさはおさえられているが、大塔につぐ大きな建造物。江戸時代後期に再建された。 弘法大師の伽藍整備計画案をもとに、その弟子で2世の真然大徳によって創建されたと 伝わり、当初は大塔と一対として計画されていたともいわれる。

「東塔(とうとう)・三昧堂(さんまいどう)・西行(さいぎょう)」桜(ざくら)
西塔に対し、伽藍の東側にある「東塔」は、大塔と同じ鮮やかな朱色。 東塔は、第8世座主・済高(さいこう)が「理趣三昧(りしゅざんまい)」という儀式を執り行っていたことからその名がついたといわれる「三昧堂」と並び建っている。 そんな三昧堂の前には、可憐な桜。平安時代後期の高僧・西行手植えの桜と伝わり、 西行桜と呼ばれる。伝説では、このお堂が改修された際に植えられたという。

金剛峯寺にある素晴らしい庭園。 「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」
5000坪以上を誇る広大な石庭は、国内最大級。金剛峯寺の貴賓室にあたる「奥殿」を守るように、雲海の中で雄と雌、一対の龍が向かい合っている様子が表現されている。 龍を表す石は、弘法大師の生誕地である四国の花崗岩が、雲海を表す砂は京都のものが使われている。奥殿の前だけでなく、金剛峯寺の諸堂の周りにも石庭があり、静けさに満ちた空間を作り出している。
橋を渡ると、静寂に包まれた別世界。 一の橋から御廟までのおよそ2キロの道のりには、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など そうそうたる武将をはじめとした諸大名の墓石や祈念碑、慰霊碑などが、樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並ぶ。その数は、数十万基ともいわれる。苔むした石像が神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出す。

  • 高野山・奥之院参道

日本三霊場・高野山は、死者の慰霊をし、安楽を祈る場所。人々の思いが詰まった霊地。この世とあの世、生と死が交錯する異空間は、心ふるえる厳粛な美にあふれていました。.

  • 高野山・奥之院御廟橋