石井好子(シャンソン歌手)

石井好子(シャンソン歌手)
シャンソン歌手の第一人者として活躍した石井好子は、1992年にフランス芸術文化勲章を授与されるなど、本場フランスでも認められたシャンソン界の女王。1951年、パリに来て3日目でシャンソン歌手デビューを果たし、帰国後は、シャンソン歌手として活躍すると共に後進の育成にも力を注ぐ。さらに、シャンソンを日本に根付かせるために1963年に開催した「パリ祭」は今年で54回目の開催となる。1990年には、フランスのオランピア劇場で日本人初の単独コンサートを開催し成功させる。石井を間近で見てきた弟をはじめ、石井に見出された加藤登紀子などのインタビューを基に、シャンソン界を牽引してきた石井の歌への想いと波瀾万丈の人生に迫る。
  • 前編(7月3日放送)
    「フランスが認めた歌声 その秘密…」

    1922年、東京で誕生した石井は、高校生の時にシャンソンと出会い東京音楽学校の声楽家に入学。卒業後は高校の音楽教師として働き始め、日向正三と結婚。終戦後のある日、夫が出資して結成したジャズバンドの歌手が見つからず、急遽石井がステージで歌うことに。石井の歌声に会場は大盛り上がりとなり、以来、ボーカルとしてステージに立つ日々を送る。ところが、金儲けを企む人々により貯金は底をつき、アルコール依存症で暴れ出す夫との生活に疲れ離婚を決意。1950年にサンフランシスコへ渡り、離婚の傷を癒しながら本場のエンターテインメントを目の当たりにする。そこで、憧れだったアメリカ人の女優兼シンガーのジョセフィン・ベーカーと対面し、渡仏を薦められる。1951年、パリに降り立った石井はシャンソンが聞ける店をまわり、飛び込みで入った「パスドック」という店で一曲歌うことに。「愛していると言って」を披露すると、店に偶然「愛していると言って」の作曲家が居合わせており、石井のシャンソン歌手デビューが決定。さらに、実力が認められ人気キャバレー店からもオファーを受け、瞬く間にその名を知られるようになるが…。

    ☆私の逸品…「60周年記念リサイタルで着た衣装」。群馬県渋川市にある日本シャンソン館に展示されている石井の衣装。その中でも特別な1着だという衣装について、石井の衣装を担当していたピーコが石井の衣装へのこだわりを語る。

  • 後編(7月10日放送)
    「フランスが認めた歌声 その秘密…」

    フランスに渡って4年、順風満帆な日々を送る石井は日本への帰国を決意。1954年、日本に戻った石井は多忙な日々を送るが、歌う場所を求めて再び世界中を転々とするように。1957年、NYでミュージカルのオーディションを受けていた際に小学校の同窓生の土居と再会。二人は恋に落ちるが、土居には日本に妻子が…。オーディションに落選した石井は土居との関係を解消し日本へ帰国。1961年、後輩育成のため音楽事務所を設立し、若手歌手を次々と輩出する。そんな中、1962年に離婚した土居と再婚。そして1963年、日本最大のシャンソンの祭典「第1回パリ祭」を開催し、見事成功させる。しかし1970年代に突入すると、シャンソンブームは下火となり事務所は閉鎖。さらに1980年、35周年リサイタルの直前に夫と父が重い病で入院してしまう。それでも見事ステージを全うした石井だったが、土居はそれから3ヵ月後に亡くなり、翌年には父親も他界、そして母親もこの世を去る。1990年、悲しみを乗り越え歌い続けた石井は、フランスのシャンソンの殿堂・オランピア劇場からオファーを受け、日本人初の単独コンサートを開催。その後も精力的に活動を続け、日本にシャンソンを根付かせた石井は2010年に87歳でこの世を去る。

    ☆私の逸品…「オリジナルの便箋」。石井が生前、文章を書くときに必ず愛用していたイラスト付きの便箋。そのこだわりの理由に迫る。