古賀政男(作曲家)

古賀政男(作曲家)
およそ5000曲の作品を遺し国民栄誉賞を受賞した古賀は、幼い頃から音楽に興味を抱き、我流で楽器や作曲法を身につけプロの作曲家に。言葉の裏や行間にある意味を汲み取り、それをメロディーで表現する“古賀メロディー”を生み出す。世相と共に日本人の心に曲をのせた古賀は、「酒は涙か溜息か」や「悲しい酒」など数多くのヒット曲を発表。歌謡界のために尽力し、1959年に日本作曲家協会の初代会長に就任、レコード大賞を設立する。大衆に愛され、今なお歌い継がれる古賀の楽曲に秘めた信念とその根源に迫る。
  • 前編(9月6日放送)
    「世代を超えて生き続ける“魂のメロディー”」

    1904年、福岡県で8人兄弟の6番目として誕生。子供の頃からマンドリンなどの音楽に触れる生活を送る。1923年、明治大学予科に入学し“明大マンドリン倶楽部”を設立。生活が苦しいながらも母の支えもあり、弦楽器の奥深さに魅了された古賀は、作曲法などを独自に勉強。卒業間近になると社会への不安や絶望を曲にしたため、「影を慕いて」を生み出す。「影を慕いて」は、人気歌手・佐藤千夜子に認められてレコード化。1931年、コロムビアレコードと専属契約を結びプロの作曲家となる。「キャンプの小唄」をヒットさせた後、「酒は涙か溜息か」の歌詞と出合う。古賀は、不景気で失業者が溢れる時代を表現していた詩を損ねることなく、世相を反映した作品にするために感情の起伏や心の揺れを西洋ギターの音色で表現。歌う藤山一郎も古賀の意図を汲み、囁くような歌い方を披露する。これが日本人の心に突き刺さり、100万枚超えの大ヒット、“古賀メロディー”が誕生する。

  • 後編(9月13日放送)
    「世代を超えて生き続ける“魂のメロディー”」

    “古賀メロディー”を誕生させた古賀は、立て続けにヒット曲を飛ばし、29歳でテイチクに移籍。作曲に加え音楽プロデューサー的な立場となり、テイチク飛躍の立役者となる。1936年に発表した「東京ラプソディ」は、都会的でモダンな時代が見事に反映されヒットするが、戦争に突入するとレコード規制が厳しくなる。テイチクを退社後、曲作りに悩む中、山梨で終戦を迎えた古賀は、自分のファンだという進駐軍の将校と出会い、歌が国境を越え人の心の中に生き続けることを実感。これをメロディーにすることこそが自分の仕事だと感じ、戦後の日本のために“愛情”を曲にのせた「湯の町エレジー」を発表、200万枚の大ヒットを記録する。1960年の「悲しい酒」は当時の世相から受け入れられなかったが、曲に自信を持っていた古賀により、1966年に美空ひばりの歌唱で再発売すると145万枚を売り上げる。1959年には、日本作曲家協会初代会長となりレコード大賞を設立する。